夏の読書テーマ

2010年8月12日

お盆近くになると最近は毎年、その休みに集中して読書するテーマをきめる。大げさにテーマを決めても1冊、あるいはせいぜい2冊しか読めないのだが、、、、
イソップはかなり以前の読書のテーマであった。
イソップの教訓がビジネスに役に立たないか、と思って読んでみたことを覚えている。イソップの一つ一つの寓話はとてもうまく人生を表現されているがそれをいざビジネスの教訓に焼きなおせないかという視点からみるとなかなかうまく翻訳できない。
何かテーマを作ってそのテーマについてたとえ1,2冊でも集中的に読むとそれ以降そのテーマに取り付きやすくなる。
今年のテーマはクルト・ゲーデルの不完全性定理である。
以前から世の中はどこまで行っても不完全ではないか、とおもっていたがリーマンショック以来さらにつよく感じている。
何年か前の夏には神学をテーマに選んでバルトの教会論を読んでみた。神学というのはおかしな学問である。
中身は大きく二つに分かれて、神であるキリストの存在を証明することがひとつ、もうひとつは存在の証明にもとづいて教義をひろめることである。まさに教義のマーケティングである。
存在の証明においては処女マリアからうまれたことと死後の復活の正当性を議論する。
処女から人が生まれるはずも無いのだから落ち着いた世界ではそもそも生物学的にそんなことはありえないし、一旦死んだ人が生き返ることもない。
ところがそう起こりそうに無いことが起きたのだから、キリストは神なんだといいう。
布教に関する部分では、このありそうも無いことをいかに信じ込ませるか、という点であり極めて高度なマーケティングである。そして、教会は布教のためのすなわち信じ込ませるための舞台装置であり道場なのである。
無いものをある、というのだからいろんな証明、説明、解説がでてくるのは当然だろう。
こんな視点から進学の本を読むと面白くて、その夏はバルトの教会についての本しか読まなかったがそれ以降、気楽にその分野の本を手にしてはかじってみている。
この夏もゲーデルをテーマにしたが不完全性定理の文庫本を一冊読みきるのがせいぜいだろう。完全なものは無いのだ、ということが納得できれば十分だとおもっている。

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