奇妙な選挙

2010年9月 6日

この週末はお天道さまを避けて家に引きこもっていた。
仕方なしにテレビを見ていると奇妙な選挙の報道ばかり。
国民が実際に関与しようのないこのようなことをメディアが報ずるのは
メディアの野次馬化もここまで来たか!という感じ。
奇妙さ その1
国会の議場ではこのところ何年も発言したこともなく、政治資金問題でも無いに等しい発言しかしなかったA氏、野党時代は舌鋒鋭く与党を切りまくる発言をしていたのに与党になって、さらに首相になったらとたんに発言に迫力が無くなったB氏が投票権も無い群集に向かって宣伝車の上に立ったとたん大見得を切って喋り捲るのはどうしてか?
実は群集にしゃべってもこの群集は自分たちの決定にはなんの関与するすべも無く、また、政権公約でもないから好き勝手にしゃべれるのだろう。
そもそも、たんなる党内選挙で国民の関与するすべも無いことでなぜ
街頭演説が必要なのか?
ひょっとしたら衆議院解散でも考えているのか?まさかそんなことは無いだろうが、、、
奇妙さ その2
マスコミ、特にテレビはなぜ党内選挙でしかなく、これによって総理大臣が決まるとはいえ国民にはなすすべのないことにこんなに時間を割いているのか?
ひょっとしてこれによって世論形成をし、それを調査し、その結果が党内選挙での投票にでも反映できると思っているのだろうか?
党内選挙での多数を占める議員の本当の関心はどちらに投票したほうが次の選挙にも勝てるか、あるいはどちらに投票したほうが役職が得られる可能性が高いか、であって国民の世論、それもメディアによって作られた世論調査の結果を党内選挙に反映するような気持ちはかけらも無いだろう。
また、地元の後援会の意見を聴いている議員がいるが後援会としては応援する
先生が少しでも偉くなってくれて地元に利益還元されることが期待であるから世論どうのこうのではなくただ先生には勝ち馬に乗って欲しいだけである。
というわけでテレビ討論会にしてもそこでの発言は公約でもマニフェストでもない。
聴いているほうは選択のしようが無い。
いまマスコミがやるべきことは日銀総裁を呼んでこの円高についての見方、考え方それに対しての日銀としてのポジションであり、今の世の中を考えるとこれほどの緊急課題は無いと思うがマスコミの世間に着いての認識にはこのようなポイントがないのだろうか?
ほとんど意味のない放送である。意味が無いとわかったとたん、テニス中継に切り替えたが、、、、
奇妙さ その3
党首選挙は党の最大行事である。これを仕切るのは党の幹事長であろう。
ところが党幹事長の姿はまったく見えない。どこかに雲隠れしているのか、隠されてしまったのか、、、
奇妙さ その4
‘まだ3ヶ月しかたっていません。もう少し見てください‘とか12月末の予算編成の結果を見て判断してください‘といった言葉が出ている。
しかし、経営者なら3ヶ月ごとに決算し報告し評価される。もっと大事な一国を預かる政府がまだ3ヶ月、なんていっていてよいのかと思う。それに加えて、12月末の予算編成の結果を見て判断、なんていっているとこの不況、年末はどうやって越えるのか? 予算編成の結果によって来年1月から3月の間に国民の判断を仰ぐのか?
つまり、衆議院選挙をやるつもりなのか?
そうでなければ時間延ばしの逃げ口上としか言えないが、、、
奇妙さ その5
お盆から9月14日まで、この空白期間早く1ヶ月である。
国家予算は90兆円強、月に直すとほぼ8兆円である。これは何があろうとも出て行く。
あるいは決定者が不在なので止まっている。たとえば各種助成金の扱いがその例である。この規模の予算が極端な言い方をすれば意思決定者の心ここにあらず、状態の中で流れているのである。
事業仕分けでひねり出した金額の十倍以上である。
奇妙さ その6
‘総理大臣が頻繁に変わるのはみっともない。対外的な信用問題である。‘(だから?)というような発言がコメンテーターからもっともらしく出てくる。変わる事が問題なのではなく変わらざるを得ない資質の総理大臣しか選ばれないことが問題なのである。
したがって、国民としては変えなくてもよい総理大臣が見つかるまで変えざるを得ないのではないか?
それに、海外ではもう日本の総理大臣はしょっちゅう変わるものとあきらめられている。総理大臣がしょっちゅう変わっても国が何とかなっていることをむしろ不思議がっている。
それって、政治主導、政治主導というが霞ヶ関がちゃんとしているから何とかなっているのではないのか?
やはり、引きこもりは良くない。こんなろくでもないことを考える。
今日は気分を一新して外で活発に活動することにする。

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