今、はまっている本

2010年11月 1日

もう半月くらいまえからはまっている本がある。文春文庫の‘周恩来秘録‘という上下二冊で800ページを越える文庫本である。
真っ赤なカバーに周恩来秘録という大きな文字と背景に周恩来の顔がこれも大きく浮かんでいる刺激的なデザインである。
実は今年の春に上下まとめて買ったのだが読み始めてけっこう疲れるので放り出していたのを、習近平の後継指名と尖閣列島の件がきっかけで読み始めた。
問題意識があるのと無いのとで、こんなにも読書の態度がかわるのかと自分で驚いている。
この本は1940年ごろから1976年に周恩来が死ぬまで、周恩来を中心にして近代の中華人民共和国のなかの権力闘争を描いた本で、周恩来の伝記の形式で書かれている。
この本は実におもしろい。今起きている日中関係の背景をいろいろ想像させてくれる。
その中でひとつだけ、領土問題に似たようなケースが出ているので紹介しておく。この本の興味ぶかさのほんのひとかけらの紹介である。
1969年3月に中国とソ連の国境でダマンスキー島事件というのが勃発した。
この事件はまさに領土問題で発生した事件である。
この事件をきっかけに中国のソ連に対する外交姿勢は変化し中国とアメリカが近づくきっかけとなった。そのときの中国の外交戦略が‘遠交近攻‘という戦略である。文字通り、遠くと交わり近くを攻撃する、である。同時に断固反撃、交渉準備、という戦術も使った。
また、当時のソ連のコスイギン首相がなんとか中国の首脳と会おうとハノイで行われるホーチーミンの葬儀にかけつけたのだが、周恩来は早めに葬儀に参列したあとすぐ帰国しコスイギンをすっぽかした。
コスイギンはその帰路、強引に北京に立ち寄り周恩来にあえたのだが、、このとき、周恩来がコスイギンに対して示したと思われる方針で四条合意実現というのがある。
その四条とは、1.境界線の現状維持、2。武力衝突回避、3.紛争地域での接触を避ける、4.住民が引き続き生産し、漁業や放牧ができることを保障する。
これがソ連との交渉の努力目標であった。
もう、このあたりで終わっておくがおもしろすぎないか?
とくに、周恩来がコスイギンをすっぽかしたのはハノイだったのだ!中国にとっては勝手知ったハノイ、というわけなのだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です