善管注意義務ならぬ善親注意義務

2013年3月 1日

善良な管理者の注意義務、略して「善管注意義務」
そしきにおいてなにか問題、事件などが発生したときに、直接の担当者ではなく、組織的にはその上に位置する管理者に対して問われる責任である。趣旨は発生した問題にたいして、善良な管理者として果たすべき注意義務をはたしたかどうか、を問われる。
例えばどこか現場で事故が起きたとき、その通報を受けた管理者はその通報に対して管理者として適切な行動をとったかどうかが問われる。
通報を受けたにもかかわらず、なにもアクションをおこさなかったら善管注意義務違反、となる。
さて、組織においては直接の事故の当事者でなくてもこのような責任をとわれるのだが、子供の親にたいしてはどうだろう?
善良な親としての注意義務というべき注意義務が管理者同様、あるいは管理者以上にあるのではなかろうか?
学校で授業をサボった生徒がいた。
先生がバツとして「ごめんなさい」を黒板にいっぱいになるまで書かせた。生徒は仲間から笑われた。親はそれを聞いて、連絡簿に「最低の教師!」と書いた。
これって、 善良な親ならサボった自分の子供を叱り、先生には「ご迷惑をおかけしまし」た」、 というのが普通ではないだろうか?
これに似たケースはたくさんあるだろう。
親が小学校にあがる年齢にも満たない子供を、混雑が予想される夜のイベントに連れて行く。
そこで、 混雑ゆえに事故に遭う。イベントの主催者を訴える
もちろん、イベントの主催者側にも問題があるだろう。しかし、同時に親にも善良な親としての注意義務が足らなかった、という問題があるのではなかろうか?
我が家の子供が通っていたある国の小学校では、生徒が授業の妨げになるような行動を起こすと、親が学校に呼ばれる。そして、学校で親の家庭内の教育、躾が悪い、今後そのようなことのないようにして欲しい、と校長先生から指示をうける。
もっともだとおもう。
いまはやりのモンスターペアレントの対策には「善良な親の注意義務」という概念を作り義務違反かどうか議論できる場をつくることと。学校においては担任の教師だけを矢面にたてるのではなく、父兄に対する大事な注意は校長、教頭の役割とするような仕組みをつくるべきではなかろうか?
何事もはっきりさせることなく、現場の良識と善意に頼っているだけでは抜本的な解決は期待できない。

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