女装家って、、、

2011年5月 8日

最近元気な人は誰だろう?
i一時期のようなIT長者も鳴りを潜めたし、月給が普通のサラリーマンの年収以上稼ぎまくっていた外資金融系もほとんどシンガポールと上海に出て行ってしまったし、、、、大企業の経営者は想定外のトラブルに見舞われ、一日も早く職から離れたいと思っているだろうし、、、
そんなことを考えていたときにはっと気がついた元気な人たちがいる。
判ったような判らないような、きっとテレビ局が名づけたのだろう‘女装家‘という人たちである。
この人たち、テレビを見ている限り、日本の25%は女装家ではないか、と思うほど存在感がある。とても総理大臣とか経団連会長の存在感の比ではない。
しかも同じカテゴリーに分類できるであろうひとでも`女装家‘というキャプションがテレビの映像上に出る人もいれば出ない人もいる。
そんな区別無く、この人たちはとても元気で生き生きしている。
しかも、小気味の良いほど切れ味のよい発言をし、聞いている、あるいは見ている人の気持ちをすっきりさせる。見ている人の思いをずばり代弁してくれているからであろう。
女装家ではない人たちがなかなかずばり言えないことを、この人たちはなぜ発言できるのか?
それぞれの女装家の人たちが持っているキャラクターとか能力だからか?
しかし、それ以外の多くの人のなかにも十分な能力を持った人たちがいないはずはない。たとえば、ビートたけしのように。
女装家の全員が切り口の鋭い発言ができるのには何か理由があるはずだ。
なんて、考えていたら気がついたことがある。
いくつか例を挙げてみよう。
普段掛けないサングラスを掛けたとき、なんとなく強くなったような気はしないか?
パーティーで仮面、つまりマスク、をつけたとき普段では考えられないほど大胆にならないか?
普段はジーンズにラフなシャツとセーターなのに、たまにびしっとスーツで決めたときなんか、発言も芝居がかったりしてはいないか?
つまり、自分の本質の見えない装いをしたとたん、意識が変わり、態度も発言も変わってくるのではないだろうか?
自分を女装という形で覆ってしまうことにより、そのとたん、とてもパワフルな仮面をかぶるのでよけいな気遣いをすることなく、ずばり本音をぶつけられるのではないだろうか?女装というプロテクターを着けているから世の中が怖くなくなるのであろう。
あの女装家の本音発言は実は男の本音発言ではなかろうか?
テレビ局にこの際お願いしたいのは、男女同権の世の中である。ぜひとも男装家と言う人たちもテレビに登場させてもらえないだろうか。
その人たちを通じて女の本音を聞いてみたいのだが、、、、

送電と発電の分離

2011年5月 7日

今回の原子力発電事故と、かねてから言われている日本の電気料金の高いこととを思い合わせて、現在の競争の無い地域独占事業体のあり方について疑問をもっと人は多いのではないか。
さて、そうはいってもどのような規制緩和があるのか難しい問題ではないかと思っていたら数日前の新聞に送電事業と発電事業を分離する案の記事が出ていた。
確かにそういわれてみると発電と言うことと送電と言うことはこれまで一体で見ていたが何も一体でなくてもよい。
たとえば現在の東京の電車と鉄道の関係を見るとひとつのヒントがありそうだ。
同じ線路の上を複数の鉄道事業者が乗り入れていてそれがゆえに乗り換えの手間が省けて乗客にとっては便利であり、しかも乗客はどの鉄道の電車を利用しているのかを意識することなく利用できている。
これを見習うといくつかの送電網が存在してそれが相互に接続されていて広い範囲での送電網を形成しているところにいろんな発電事業者の発電所が接続されそこから電気が送り出されていき、利用者はどこの発電所で作られたでんきであろうと均一料金で利用し、集められた料金は事業者間で配分されればよい。このネットワークに接続される発電所のひとつとして企業ガ行う火力発電などの自社の発電所もあるだろうし、太陽光発電事業者もあるだろうし、家庭の太陽電池あるいはガズから燃料電池による発電などがありうる。
公共性という点からは鉄道も公共事業である。
電気は公共事業だから送電と発電が一体化した現状の地域独占が一番よいのだ、と主張する電力会社の意見はこのように鉄道と対比してみると詭弁としか思えない。
電気自動車の普及もあわせて考えるといまが新たな電力サービスの政策を作る絶好の機会ではないだろうか。