廣瀬禎彦氏の1周忌食事会

早いもので昨年2月29日※ご逝去された廣瀬禎彦さんの1周忌を迎えました。そんな中、本日2021年2月28日、ご家族と故人の中学高校時代の同窓のみなさん、有志が集まり食事会が行われました。学生当時の思い出話で盛り上がり天国の廣瀬さんもきっと喜んでくれたことと思っています。<合掌>

※昨年はうるう年だったこともあり本日2月28日に1周忌となりました。

メディアはフェイクだ!

2017年2月10日

1960年代の後半、カナダのマクルーハンというメディア学者がメディアはメッセージである、と言って一世を風靡した。ちょうどテレビが新たなメディアとして普及してきたころである。そのときは同じ内容の情報でも、新聞で伝わるのと、当時最新のテレビで伝わるのとは伝わり方がちがい、それはメディアそのものがもつメッセージ性が違うからだというような意味で言った。
今の世の中ツイッターなどインタネットでのSNSが広がってきている時代に、メディアはフェイクである、とはトランプが主としてアンチトランプのテレビに対して発した言葉である。言葉のフレーズは感覚的にマクルーハンのいった、メディアはメッセージである、とよく似ているが、はたしてトランプは21世紀のマクルーハンだろうか?それともトランプ自身がメディアだとしたら、彼もフェイク?

夢と思い出の間に、

2017年2月 7日

二年半ほどやすんでいましたが、このブログを再開することにしました。
ほぼ毎週の更新をめざします。
「人は夢と思い出の間で生きている、」という言葉をおもいだしました。
子供のころは思い出は少なく、ほとんどが夢ですが、年を取ってくると
ほとんどが思い出となり夢はわずかになります。
思い出は人をそのことがあった時代二戻してくれます。
先日、社会人となって最初に所属した部門の同窓会がありました。
もう50年くらい前、一緒に仕事をしていた人たちとの集まりです。
そこでの話題のほとんどは1970年代の仕事を一緒にしていたころの
エピソードです。思い出深く話している人たちは70代から80代です。
思い出話を話している人たちの表情は生き生きしていて、そのころとは
全然かわっていないとおもわせるものでした。
同窓会が終わりに近づき、みんなで記念写真を写すときに並んだ仲間
の顔はもうすっかり老人の顔にもどっていてびっくりしました。
思い出話は老人を若返らせる貴重な道具だと気がつきました。
年寄りが思い出話を始めたら、ぜひその表情をながめながらしんぼうづよく聞いてあげてください。年寄りが一瞬でも若返る大切な時間なのだと思って、、、、、。

疑問の目ー最近の円安傾向

2014年9月17日

円ドルレートがとうとう107円半ばにまで下がって来た。
ほんの一ヶ月前は102円あたりで、この水準が比較的長く続いた。
それとともに株価もじわじわ下がり、15000円を切れて瞬間的には
13000円台にまでさがってきていた。
ここに来て、1ヶ月足らずの間に5円以上下がって107円半ばの水準である。102円だったのが107円になったのだから5%近くも円の価値がさがったというわけである。この一ヶ月間でなにかこんなに変動する要因はなんだったのだろう?
消費税アップの後の経済状況で、4月から6月のGDPの数字が悪く、さらに企業の設備投資は前年比でマイナスであった。
目前に控えている消費税の再値上げの判断が迫られているこの時期に、経済状況か良くないのは消費税値上げの先送りの判断を迫られる状況にもなりかねない。
それを恐れるのは財務省関係と消費税アップ派の新任の自民党幹事長だろう。
すなわち、消費税の再値上げを可能にするにはとにもかくにも経済の数字を良くしなければならない。
景気が良くなっているということの世間への一番の見せかけは株価の上昇である。株が上がれば時価総額が増える。企業収益に関係なく株価を改善するには円安にすればよい。株価をドル建てで見ると、円が下がれば株価は上がり、円高傾向になれば株価は下がる。
つまり、円安にすれば株価は上がり、見たところ景気がよく見える、というわけである。しかも、株価は円の変動に対して加速度的に反応する。
つまり、おなじ5円の円安でも短期間に円が下がれば下がるほど、株価は急激に上がる。
それでは、なぜ、この時期に円を下げるのか、というと今、7月から9月の三ヶ月間の経済統計集計の最終月である。ここで景気指標を押し上げておけば4月から6月は消費税の影響があり経済は低迷したが7月から9月は株価にも見られるとおり、経済は力強く急速に回復基調にある、といえる、いや、言えるようにしたい。そうすれば消費税アップの判断が出来る。
こんな発想で円の価値を操作しているのだとしたら、、、、円の発行高を増やせば十分可能であり、これまで現政権がやって来た事だから、今更この手の通貨の操作に逡巡することはない、というわけではないか?
さて、消費税を上げるのは来年度である。この手はいつまで通用するのか?
もちろんそれまでに実体経済が浮揚してくれるに違いない、とねがっているのだが、、、、そうでなければ何回か、消費税を上げるまでこの手を使わざるを得ないことになるだろう。そして、消費税をあげたと同時にこの通貨操作をストップしたら、、、、、株価は加速度的に反応する、と書いたが今度は逆の加速度がはたらいたら、、、、、、、いつか来た道の暴落!である。
時期的には2015年の下半期から2016年度の上半期か?
2016年の8年前は何があった?   リーマンショック。
その前の2001年は?        ハイテクショック
其の8年前の1993年は?      国内バブルのはじけたとき
その前の1986年は?        ブラックマンデー         
2015年〜16年がこれまでの繰り返しの波に乗らない事を祈るが、、ちょうど来日しているクルーグマンはどう見ているか?インタビューの内容に要注意である。
2012年から上がりだした株にこれからの人生の糧である退職金をつぎ込んで買っているのは団塊の世代である。
この人たちが、サブプライムローンでスイートホームを買った庶民が貧困層に突き落とされた2008年のようなことにならなければよいが、、、。

事実と主張、論評

2014年9月16日

このところ新聞テレビをにぎわしている、朝日新聞の件に絡んだことである。
今回の件は新聞とかテレビの報道番組とかの在り方を見直す良いきっかけになれば結果的には良かった、という事になる可能性もあるが、、、、
そもそも、メディア全般というよりは新聞について考えるとこんな事が言えるのではないだろうか。
新聞に期待しているのは、出来るだけ信頼できる事実を伝えてもらう事と、さらに其の事実について、新聞としての見方、意見を知らせてもらうことではないだろうか?
同じ事実を取り上げても新聞によって主張が違うであろうことはわかっている。ところが、事実そのものの伝え方の段階ですでに事実のなかから主観的に取捨選択した部分だけを伝えられると、事実そのものの姿がわからなくなる。
よく政治家が、マスメディアは自分たちの都合のいいところだけを切り貼りして伝え、発言しているこちらの趣旨、全体像は伝わらない、とか言っていることがある。
事実を取捨選択して自分の主張に都合の良い部分をもっぱら事実としてならべ、それにたいして、それぞれの主張をする、というのがこのかたちであろう。
もちろん、客観性薄く伝える側の都合の良い事だけをハイライトして使えるというところに既に読者から見ると問題があるのだがそれでも、都合良く並べられたとしても、其の並べられた断片は事実である。並べ方によって見え方が変わってしまったとしても、である。
ところが、事実だ、と称して並べられた事が既に事実ではなく、ある意味で伝える側が主張したい事を事実に見せかけて並べられてしまうと、その後の主張のところで其の事実を追認するがごとく繰り返されたら、其の主張は事実に基づく、事実を素直に眺めた事から生まれる、みたところ妥当性のあると思われる主張となる。
読んだ方は、事実であり、それを半ば繰り返しているようなものだから、もっともなことだ、と其の書かれた事を疑いも持たずに信じてしまう。
この、事実であるがごとく見せかけて、送り手の都合の良い主張を織り込む、ということになってしまうと、事実が何なのか、分からなくなってしまう。事実を誤認させるための手段としてこれまでの新聞のもつ信用を逆手に利用された、とおもってもしかたがないだろう。
今は朝日新聞のことがとりあげられている。しかし、事実として書かれるべきところを主張をあたかも事実のように見せかけて発信されているようなことは他でもあるのではなかろうか?こう思うのはけっしてじぶんだけではないだろう。幸い、ネットの時代になって今や情報源は新聞、雑誌、テレビだけではなくなった。
ネットの場合は聴き手が送り手にたいして、本当か?と問いただす事も可能な仕組みになっている。今回の問題は結果として、朝日新聞だけでなく、他の新聞も含めてすべての新聞に
たいしてほぼ確信的な疑いをいだいてしまったのは自分だけではないだろう。
一度失った信頼を取り戻すには時間がかかる。ひょっとしたら新聞業界にとっては信頼を取り戻すのに必要な時間は、もう、残っていないかもしれない。