2.7メートル

2009年10月31日

通常、道路というと公道を示し、公道の最低道路幅は4メートルと決められている。
ただし、現実には4メートル以下の道路も多く存在し、それらは建築基準法42条第2項に定めるみなし道路、として定義されている。

それらのみなし道路の多くはその幅が2.7メートルである。
しかも、その2.7メートルの道では車のすれ違いは出来ないものの車は通行しているところも結構身かける。

さて、なぜ、2.7メートル幅の道が多く残っているのか。
これは昔の普通に歩行する道がこの幅が基準であったからではないかと推測される。
なぜ、そのように推測されるかというと基準がないにもかかわらず2.7メートルになっている道が多いので、これはむかしそのような基準が存在していたのであろう、とおもうからである。

そこでなぜ2.7メートルだったのか、というのを考えてみると面白いことに気が付いた。
2.7メートルとは1間半、つまり9尺幅なのである。
人が通ることを前提としているから、今の道路がくるまがすれちがうことを前提にしていると同じに、人もすれ違うことを前提にその幅を設定している。人間の体の幅は65センチから70センチの間である。二人分は65センチに70センチを加えると平均化された幅になるが、
それは135センチである。ちょうどその倍が270センチになっている。

今、4メートル、あるいは6メートルの道を歩いていて、人とすれ違う時にはすれ違う相手と
2メートル弱の間隔を置いてすれ違うことができる。これだけの距離があると相手と目をあわさずに済むし声をかける必要も生まれない。お互い、無関心で居ることが成り立つ距離である。ところが、2.7メートルの幅だとすれ違うときの幅はせいぜい1メートルだから当然相手の顔は視界に入るし、挨拶せずに通るにはなんとなく無愛想に思われる距離である。
少なくともすれ違う相手はどんな人かかなりきっちり見る事になってしまう。つまり、声をかけなくてもそこにはコミュニケーションが行われている。

街にこのような幅の道路があちこちにあればそこにはかなり親近感の沸く密度の高いコミュニティが出来上がる。

しかし、4メートルの道路であればお互い無視できるのでコミュニケーションのなりたく可能性がずっと少なくなる。

人が住む街を考えるとすべての道を4メートル以上にするのではなく、2.7メートル規模の道も積極的に残していくべきではないだろうか?
そうでないと、そのうち全国がお互い無関心ですれ違えてしまう街になってしまうのでは?
一説には4メートルという基準は緊急車両、とくに消防車が入れるため、といわれているが、実は最近、軽自動車のサイズの消防自動車が走っているのを見かけた。
あれなら、2.7メートルの道の奥まででもすいすい入っていけるだろう。

ひろせ

東京外環ひとまわり

2009年10月31日

今日は、一日、東京の外側を一回り近く移動。
まずは大宮からスタートし、その次は西東京市、さらに西に進んで小平まで行き、最後は江戸川区の篠崎までたどりついた。東京には10歳のときから住んでいるから、もう半世紀になるが一日で今日のような移動をしたのは初めて。

いろんなことが感じられておもしろい。
やはり、足で歩き、目で見るとメディアを通して知っているつもりになっていることとは大違いである。

元気な具合から見ると大宮が一番。
すぐ近くに大宮駅周辺の大きなビルが見えるところへ行ったのだがビル群が新しく、そのコンクリートが白く反射するのがまぶしいくらいである。
西東京市といえば、保谷と田無が合併して出来た新しい市である。ちょうど旧保谷と旧田無の境目にある道を走る。
まだまだこれから二つの地域の融合がはじまるのではないか、というエネルギーを感じる。

小平周辺は40年以上前からの住宅地域であり、多くの大学がその隣接する地域も含めて点在している学園地域でもある。
40年前に30歳代で住み始めた家族も今はもう70歳代になっているくらい時間が経過している。その時間の経過を感じさせる静かさがある。周辺の団地の住人も高齢化しているだろう。地域の高齢化を感じるのは歩いている人の姿とその歩みがゆっくりなところである。

最後の篠崎はもう、暗くなっていたが東京ゼロメートル地帯いわれた地域である。
隅田川を越えて荒川に近い。まさに町全体が平坦である。このすぐ隣には大規模な大島団地がある。帰りに都営新宿線の篠崎駅にいったら駅周辺がとても明るく、新しく降りてくる人たちの年齢も比較的若く、ひょっとしたらこのあたりはこれからの期待の地域ではないかと感じられた。
この地域は都営新宿線の開通によって都心からのアクセスが一気に良くなった。

東京は都心の変化に目を奪われがちだが周辺地域の変化は多様で面白い。

ひろせ