ドクターバーンズ三代目

2012年8月29日

ワイズ コーポレーションというサプリメントベンチャーが製造販売している、ドクターバンズという総合サプリメントについて、である。
このベンチャー企業は3年躍前から活動しており、すでにポレノンという花粉症対策商品を発売、かなりの評価を得ている。
今回はそこの第二の商品である総合サプリメントを今週月曜日から使い始めたのでその経験レポートの第一号である。
ドクターバーンズは3年ほど前、テストマーケティングのような形で第一代の商品が出荷された。
当時の商品の服用経験はないが、見たところはレトルトカレーのパウチのようなものに入った商品だった記憶がある。
二代目はカプセル化され、2年前に市販されたが、それもまだテストマーケティングといった感じのレベルであった。この商品がドクターバーンズとの出会いの始まりである。
当時はカプセル化を始めたばかりで一回に9個のカプセルを服用する、というかなりめんどくさい商品だった。この商品に目をつけた理由は二つある。
そのひとつは従来型の個別機能をバラバラに補助するサプリメントに少々疑問があり、本来は総合的なバランスを考えたサプリメントがあってもよいのではないかと思っていたことである。
もうひとつの理由はドクターバーンズの売りが体全体の代謝機能の改善を目指したサプリメントである点である。
人間は代謝を繰り返しながら生きているのだから代謝機能に目を付けるのは理にかなっていると思ったわけである。
そこで、この度三代目のドクターバーンズが市販されたので早速入手した。
月曜日から服用を初めてまだ二回しか服用していないので報告するには早すぎるわけだが、この二日間、顕著な変化があったので報告する。
それは、大幅な排尿力の向上である。
男性はこの年齢になるとどんどん排尿能力が低下してくる。しかも排尿後の残尿感は実にいやなものである。
それが服用を始めたとたん、昨日からだが、若い頃のような排尿力になっている。
ちょっとした驚きである。排尿力については継続的に観察してみる。

Mad Manの時代の本

2012年8月28日

Mad Manは1960年代、テレビが登場して、アメリカの広告業界がもっとも生き生きしていた時代の広告代理店を描いたテレビドラマである。
最近、大好きな二冊の本が実はこの時代の広告業界のカリスマによって書かれた本だ、ということに気がついた。
一冊はジェームス ヤングが書いた、`アイデアの作り方‘である。この本の素晴らしさはジェームス ヤングが‘新しいアイデアとは既存の要素の新しい組み合わせである‘、と言い切っていることであり、これによってアイデアを作り出すことにストレスを感じている人間には大いなる救いになる。
もう一冊の本はデビッド オグリビーの語録である。翻訳本のタイトルは想像力と知恵‘。
ジェームス ヤングのアイデアのつくり方、に書かれていることは何度か参照したり、外部の講演でも話しているので、今回はオグリビーの語録のなかの一つを紹介する。
語録そのものはオグリビーの75歳の誕生日、つまり1986年に出版されたのだが、若い時代、1950年代、1960年代のメッセージも含まれている。
今でも新鮮で通用する言葉であることが素晴らしい。
広告は、作品一点のなかにセールスストーリーをすべて語り尽くしていなければならない。読者はシリーズで広告をよんでくれるわけではない。
コピーは人間味に満ちた、ごく簡潔で、対象にずばり斬り込むものでなくてはならない。 自意識過剰の芸術作品や、手の込んだ言葉は、買い手をうんざりさせるだけだ。
コピーは一語たりとも無駄に使ってはならない。ムードより、具体的な数字を示すこと。常套句を避けて、事実を、空疎な説教はやめて魅力的な提案を。
滑稽さをねらう広告は、素人が使いたがる手だが、広告代理店においては禁物である。軽薄さでは永続的な成功を築くことはできない。
ピエロからものを買う者はいないからだ。大げさな表現は、市場の叩き売りにはいいが、真面目な広告には無用である。
真実味を割り引いて考える習慣を、読者に植えつけるだけの結果しか生まない。以上、オグリビーの語録のほんの出だしのところである。まったくすべて納得である。
これは、広告だけでなくセールスにも通用するメッセージである

今後はミニショップ?

2012年8月21日

電子書籍が普及するにつれ本屋は消え去るのか?
たしかに新刊本の従来型の本屋は減ってきているがその一方で増えている本屋もある。ネットで追いつめられている業界、ショップの次の一手は専門ミニショップ?
住んでいる街の変化を見ているとなんとなくトレンドがみえてくる。ただ,ごく一部かもしれないが、、、
本屋
新刊本の本屋はこの2年くらいで2軒廃業した。
残っているもう一軒は店の半分くらいが古本になりつつある。
新刊本屋から古本屋へのおだやかな業態チェンジである。
ところが、新刊にこだわらないかなり限定された分野の本を扱うミニ本屋がこのところ毎年増えている。ほとんどの店が間口が2間程度のミニショップである。もちろん、店員はひとり。
どこもゆっくり本を探して眺めて,,,スローな空気が流れている。そのなかの一軒は小さな店にもかかわらずコーヒーも注文できる。一つの街に数軒のこんな本屋がありながらそのジャンルは重複していないので共存している。
これらの本屋の特徴は並んでいる本が店主の目利きでえらんだものばかりなところである。したがって、こんな本を探したい、とおもうとどの本屋に行けば良いかわかる。
100円玉三つくらいしか無いときには、例のブックオフに行けばよい。この店だけが巨大店舗である。
レストラン
自分が好んで行く店がそうなのかもしれないが、やはり最近オープンするレストランは間口が2間程度の店が多い。シェフと見習い助手とフロアをかねたソムリエとの3人というパターンが定番である。
メニューはシェフの個性で決まるので、自然と通う店は決まってくる。レストランは本屋ほどあれこれ目移りはしない。ミニショップだとすぐに店の人と顔なじみになり話をするようになる。大きな店の無機質な感じとは正反対である。どのミニショップもそこそこはやっている。なんといっても無理をしている感じがないところがいい。こんなミニショップで最近は文房具屋まで見つかった。自分とはちょっとテイストがちがうので愛用はしていないが、気になるので通りがかりに覗いたりする。
間口2間、奥行き5、6間、坪数にして10坪から12坪くらいか、こんあミニショップでかなりセグメント化された店がトレンドなのでは?
レコードショップ
まだこの街にはレコードショップのミニショップは現れていない。実はもっとも欲しいカテゴリーのショップである。
もちろん、新譜ではなく,店主の目利きで集めてきた中古CDでよいし、程度のよいLPなどあればとても良い。高品質の控えめなオーディオシステムがあってコーヒーがあれば椅子を持ってでもでかけるかもしれない。
今全国でレコードショップはどんどん消えて行っているそうである。そろそろ、こんなミニレコードショップがあらわれてもよいのではないだろうか?
ひょっとしたら古本屋と隣り合わせでこんなレコードショップがあれば相乗効果をはっきするかもしれない。さらに発展するとミニショップオリジナルのCDを出したりミニコンサートを開いたり、、、
これからの趣味の領域のショップのトレンドはミニショップでは?
これらのミニショップは我々の経済的価値観も変える可能性を持っている。

第二の足の裏

2012年8月21日

人間の体の中で最も酷使している場所は?
目か耳か?
目は寝ているあいだ休んでいるから、24時間稼働している耳の方が時間的に酷使されていると言えるが、、、目が疲れた、ということはあっても耳が疲れた、ということは滅多に感じない。
足と手を比較しても、生活のスタイルで大分違いがあるが事務職の人にとっては手の方が、、体を動かす仕事の人にとっては足の方が酷使されているだろうから、一般に手と足のどちらが酷使されている可判断は付きにくい。
その中で、足の裏は立っている時、歩いているときには全体重を支えているという点ではかなり酷使している場所だろう。
その足の裏を守ってくれているのは靴をはじめとする履物だが、最近気がついたもうひとつの足の裏の味方がある。良く作られた靴下である。
靴下が足を保護しているのはよくわかっている。
靴擦れを防いでくれているのなど靴下の一つの機能である。
ただ、自分はこれまで家に帰ると履いていた靴下をすぐ脱ぐという習性があった。足に何かくっついているのがいやなのである。
ところが、最近は家に帰っても靴下を脱がずに履いている自分に気がついた。
家の中でその靴下を履いていることが不快ではなく、縛られた感じもなくしかも歩きやすいのである。
具体的な感覚をいうと、足の裏が床をしっかりつかむ感じがある。ただ、どの靴下を履いても同じ、というわけではなく、ある種の靴下だけの特別な感覚であり、それ以外の靴下の場合は相変わらずすぐ脱いでしまう。
そこで履き続けている靴下についてどんな製品なのか見てみたら、タビオと言うメーカーの靴下のときに脱がずに履いていることが多い、ということがわかった。タビオの靴下全てではなく、とくにスポーツソックスタイプの靴下の場合、どうも靴下を履いている方が気持ちが良い。
そんなわけで、最近は出かけるわけでもないのにこのスポーツソックスを家のなかでも履いている。
靴下などというものはもうどこにでもある、これといった機能的な差別化の余地もない普通の商品だとおもっていた。これまで靴下を買う時はほとんど素材と長さくらいで選んでいた。それ以外の機能的差別化はかんじなかったからである。
1年半ほど前、丸の内のビルの一階に靴下専門の店を見つけ、ウインドウにカラフル靴下が並んでいたのでフラッと立ち寄り、2足かったことからタビオとの付き合いが始まった。靴下などせいぜい500円程度と思っていたのに1000円前後したので 一瞬、高いな、と思ったのがその時の印象である。それ以来、特にこれと言う理由もなくたまに店の前を通った時にセールのサインが出ていると2、3足かっていたのだがあるとき偶然スポーツソックスを買ったことでこの店の靴下の違いを感じた。
いまや 自分の第二の足の裏になってきつつある。
どんなところにその秘密があるのかはわからない。しかし、もはや改良の余地などありえないと思われる 靴下にこれだけの違いを作り込むことができるなら、このほかにもまだまだ手を加えると面白くなる品が身の回りにありそうである。