最近のアラサー女子に思うこと

2010年7月29日

一昨日、知人の女性ブロガーから久しぶりにメールが来た。
と思って読んでみるとこんなことについて一言アドバイスを、という話。
  最近のアラサー女子について思うこと
  働く女性に言いたいこと
 今のビジネスマンに先輩として一言、アドバイスするとしたら。
今日は最初の、アラサー女子について思うこと、に答えたことを紹介する。
アラサー女子について
アラサーとは25歳から34歳まで?
実感としては27歳から31歳ではないかとおもうが、、、
なぜって32歳以上はAroundではなくずばり30代でしょう。
もし、結婚に関心があるならこの世代で結婚をしておかないとそれ以降は結婚にいたる確率が激減するでしょう。まあ、結婚だけが人生ではありませんが、、、
わたしの勝手な統計によると未婚の女性が4出来る確率は100人に一人だそうです。
そうそう、結婚といえば有名な言葉があります。
知っているかどうか判りませんが昔、エルビスプレスリーという一世を風靡したアメリカのロックスターがいました。
彼があるときインタビューで‘結婚しないのか?‘と質問をうけたとき彼の答えは‘毎朝牛乳を飲むためになぜ牝牛を飼わなければいけないの?‘と答えたそうです。
当時は男の発言でしたが、今ではアラサー女子も使ってもよいのではないでしょうか?
なんと言えばいいですかね?
また、この年代になると‘貞操‘は死語でなければなりません。もっとも最近ではティーンズはこんな言葉の存在すらしらないかもしれませんが、、、
アラサーの時期の生き方は24歳から27歳の間で決まる、と思っています。この時期はまだ20代、まだまだ若いから、、、と20代前半の生活パターンを引きずっていると朝起きたときの肌の張りのなさに気がついたときはもう遅いです。そうかといって、早くからロハスなどと言いベジタリアンまがいのことをしていたらますます肌にも身体にも潤いがなくなってしまいます。たまには焼肉を暴食するくらいのことが必要です。
食事と運動と読書に気をつけ、知性ある男性との接触に心がければ明るいアラサーが開けるでしょう。世の中には‘おんなは若けりゃいい‘と思っている男性と同じくらいちょっと知的で潤いのある大人の女性を求めている男性がいるのです。
気を配った生活は30過ぎてからではもう、アラフォーまっしぐら、という状態になってしまいます。
食事は栄養価は高く、炭水化物は少なく、適度に動物性脂肪も摂取することです。それが身体に潤いと心に意欲、行動には肉食系をもたらします。
ファッションはもはやフリフリの時代ではありません。いかに、30前の読者モデルが大人風ギャルファッションで決めていてもまねをしてはいけません。
シンプルな服装で中身から知性とフェロモンをにじみ出させ、個性は表情と目ヂカラでアクセントにします。長すぎるまつげのエクステももはやアホに見えるだけですからせいぜいマスカラだけにしておくべきでしょう。
それを補って余る目のチカラをヤツメウナギとブルーベリーで備えるべきです。ヘアスタイルはアラサーの決め手です。ショートであろうとロングであろうとこまめにカットに通いいつも最適な形に保つことが年齢を超えた魅力を創り出します。しかも、カットがよいと手入れも簡単です。
さあここまでくると、アラサーとしてはナンパを待っているべきではありません。
バス停に立っていてもバスは通り過ぎていってしまいます。
これと思う男性には積極的にアプローチしても当然です。なぜならほうっておけば狙っている男性の視線は20代前半の女性に向いているのですから。
実はアラサーこそ女の華開くときです。アラサーの充実した生活を祈っています。

不覚にも熱中症に、、、

2010年7月28日

日曜日の夕方あたりからめまいと頭痛におそわれたのだが、、、、すぐには熱中症とは思わなかった。このところ、また、定期的にジムに通い始めている。
ジムではトレッキングマシンに乗ったあとウエイトを最小限にしたマシンを使っておもに間接の動きと普段のデスクワークではほとんど動かせていない筋肉を動かすトレーニングをしている。
以前はこれに加えてプールで30分ほど泳いでいたのだがこのところプールのほうはご無沙汰である。
回数を重ねながらトレッキングマシンの時間を延ばし、それが楽しみでもあり、先週の日曜日はその前のトレーニングでは15分だったものを20分に伸ばし、軽くマシントレーニングをして、かなりハイの状態でサウナに入りシャワーを浴びて外に出た。気がつかなかったのだが気分的にはかなりハイになっていたのだとおもう。勢いに任せて、さて、それでは少しウオーキングをしよう、と結局1時間半ほど目黒川沿いを中心に歩いた。
日差しが強かったがちゃんと帽子をかぶっていた。
ウオーキングを終えて帰宅してしばらくして、気分が悪くなり、頭が痛くなり、頭がボーっとしている上に若干のめまいが起きて眼もかすんできた。
とにかく大汗をかいていたのでシャワーを浴びてその後はおとなしくしていたのだが月曜の朝になっても頭痛が残っているし、何かボーっとしている。
やむを得ずこの日は休みを取って家でジットしていたのだが、夕方ごろになると熱まで出てきたので、翌日、火曜日の朝、かかりつけの医者のところに出かけた。お医者さんは一言‘熱中症ですね。高齢者はとくになりやすいのですよ。‘とばっさり切られてしまった。
都会の町でウオーキングをするとき帽子をかぶっていても熱中症防止に万全ではなく、道路からの照り返しでやられてしまうそうである。
元々自分は夏に強い、と思い込んでいたのでちょっとショックだった。帰宅して頭をアイスノンで作った氷枕で冷やしてみるとスーッと頭痛が治まる。結局昨日一日はアイスノンを頭に載せ、麦茶をがぶがぶ飲んでは寝ていた。日曜日の自分の行動を思い起こしてみると、確かに木陰の多い目黒川沿いとはいえ照り返しはかなり強かった。ただ、決定的に不注意であったことがある。
ジムでの運動でかなり汗をかいたあとである。したがって身体はかなりの水不足だったはずなのに、歩く前も歩いている間も水分補給をせずにいた。自分としてはのどの渇きをおぼえなかったので水を飲む、と言うことをすっかりわすれていた。
暑い日には水のボトルも持って歩くべきなのにそのことをすっかり忘れていた不注意が原因だろう。単に高齢化のせいだとは思いたくない。

わが街、中目黒(3)《マリリンモンローの家》

2010年7月21日

中目黒の駒沢通り側に目黒銀座という商店街がる。私がこの街を知ってからかれこれ50年以上になる。そのころには毎月決まった日に縁日が開かれる商店街だったからもう出来てから100年ほどになるのではないか。
今でも古い店が何軒も残っていてこの商店街の特徴はスーパーがないことである。
その商店街をちょうどマリリンモンローの自宅が3億数千万円で売り出された、というニュースが流れた朝,散歩していたらこんなのを見つけた。

歩いていたのは朝の6時ごろだから商店街の店はコンビニを除いてまだ閉まっている。
その中の一軒の洋品店の閉じられたガラス戸に張ってあったのがこの写真である。
マリリンモンロー………
自殺か他殺かで今でも結論は出されていないが、きっと知る人は知っているのだろう。
ちょうど大学受験の浪人をしていたときの夏休みだった。今から48年前である。
マリリンモンローは強く印象に残っている。
まず、マリリンモンローという女優の存在を意識したのは小学校の3年か4年のときである。
当時は大阪の近郊に住んでいて大阪の真ん中にある私立の小学校まで電車を乗り継いで通っていた。電車が大阪駅に入る手前で大阪駅前の映画館の看板がよく見えた。
ある日、とても眼をひきつけられる看板が出た。それがマリリンモンローの「ナイアガラ」という映画の看板で、それを見たことでマリリンモンローという女優の存在を知った。
マリリンモンローの映画は何本か見たがそのなかでいまでも時々ビデオを見るのが、シャンソン歌手のイブモンタンと競演した 「Some likes it hot 」という映画である。
ところで、英国のダイアナ妃の葬儀のときにエルトンジョンが歌った歌がある。
曲名は‘Good bye English rose‘。実はこの曲は同じくエルトンジョンが1962年のマリリンモンローの葬儀のときに歌った歌の替え歌である。

わが街、中目黒(2)《シーシェパードもびっくり?》

2010年7月21日

中目黒のもうひとつの顔は飲み屋の街である。
それこそ、いたるところにいわゆる居酒屋やトレンディなカフェやレストランなどが街中にあふれている。よくこれだけあってみんなつぶれないものである。
その中の一軒で古くからの商店街である目黒銀座の中ほどにある店に張られていた紙がこれである。

これは以前から気になっている飲み屋である。
あまりにも飲み屋!という感じなのでまだ入ったことは無い。いつも関心があるので店の外の板張りの壁に貼られているPOPを眺めている。
居酒屋だからPOPも手書きである。
この写真のPOPをみたとき、やった! 鯨の刺身か?とおもってシーシェパードへの見事なあてつけと思ってよく見てみたら鯨肉ではなく「くじら」という銘柄の芋焼酎のPOPだった。
それにしてもシーシェパードの本部にファックスしてやりたい。

わが街、中目黒(1)

2010年7月21日

東急東横線の中目黒から徒歩10分足らず、歩数で800歩くらいのところに住んでいる。
駅を降りて構内にある付近の地図を見ると駅の周りは実は住所が上目黒であることに気がつくだろう。
地名は上目黒なのになぜ中目黒という駅名になったか、というと何年か前に町名変更があって駅の周りが中目黒であったのが上目黒になったからである。
少なくとも私が高校3年のころまではこの駅の周辺の住所は中目黒だった。
中目黒はいろんな顔がある。
それをいくつか紹介する。

写真の家は長野県の家ではない。中目黒駅から歩いて10分ほど、通称 諏訪山と呼ばれる小高い丘の頂上の住宅街にある家である。
どうみても昭和の建物ではない。多分、大正時代の建物だろう。
かなり大きな日本家屋で道路に面して並行に家が建っていて、その道路に面した側全体に廊下があり、木枠のガラス戸がはまっていて、その外側には木製の昔のままの雨戸が付いている。
道路から3メートルほど高くなったところに家があり、道路面には大谷石の築地がある。
東横線の両側は大正時代に電鉄会社が住宅開発をしたらしく、いまでもそのときの名残の大谷石の築地が残っている。
時々この前の道を散歩するが、この家を見るたびに、まだ残っているか、と思いほっとする。

聴力制限x視力制限人種

2010年7月14日

最近、通勤時間に電車に乗ることがある。
昨日も9時からの大学の講義のため通勤時間帯に電車に乗ったのだが、、、、
通勤通学時間帯の電車ではとくにイヤホンをつけ、携帯電話に見入っている人が多い。
全体の半分くらいはイヤホンを耳に差し込んでいるのではないだろうか。
渋谷駅のホームで私の前を歩いていた人がまさに、耳にイヤホンを、左手には携帯を持ち歩きながらメールに見入っている、、、改札に来た。右手で取り出したカードケースを改札のICリーダーにくっつけた。ゲートが閉じて赤く点灯。それでも携帯から眼をはなさず、カードケースを二度、三度パタパタとリーダーにくっつける。やっと気がついた。
カードケースを見た。はっとしてポケットから別なカードケースを取り出しタッチ。
その間、後ろに何人か、、、いらいら、、、、
改札を通るときくらい携帯から眼をはなしたら?
聴覚は人間の持っている知覚の中で上下左右360度の空間を感知できる能力をもっている。だから、後ろからとか横からとか、あるいは上からとか、眼で見えないところから迫ってくるなにかを知覚することが出来る。
なのに、その聴力をイヤホンでふさぎ、斜め前方に空虚な視線を投げ出しながら歩いている。
一人だけではない。冷静に見てみるとその空虚な表情がなにか恐ろしげに写る。
まるで周りを感じることを拒否しているように見える。視力限定人もおなじ、まわりなど
見たくない、という拒絶姿勢か?
海外でも歩きながらヘッドフォンを耳につけている人はけっこう見かける。
マンハッタンなどで黒人の若い子はヘッドフォンから聞こえる音楽に体をゆすらせながら
リズミカルに歩いている。そんな姿は見ていて楽しいのだが、、東京ではリズムに体を乗せて歩いている人はまず見かけない。聴いているのは英会話のレッスンか?

蒸し暑い通勤通学時間だがこんな人間ウオッチングが楽しい。

ウオッシュレットの無い生活なんて……

2010年7月 4日

数日前から旅に出ている。
何の問題も無く快適に、無目的に無計画に、順調にすごしているのだがひとつだけ不満がある。
昔、多分30年以上まえ、コーヒーに入れる粉末クリームのコマーシャルに“クリープの無いコーヒーなんてコーヒーじゃない”というコピーがあった。
それを拝借してこの不満を表現すると“ウオッシュレットの無い生活なんて生活じゃない”。
この数日、ウオッシュレットの無い生活をして二つのことを感じた。
まず卑近なところから言うと、ウオッシュレットの場合は排便の後のお尻は水で洗う。したがって、トイレットペーパーは使うがもっぱらお尻についた水滴をぬぐうのが目的であり、排便の後をぬぐうという目的はもはやほとんど無くなっている。
つまり、自分はトイレットペーパーで排便の後をぬぐうという行動をほとんど忘れてしまっていて、その技術もなくしてしまっていることに気づく。ウオッシュレットによって機能の退化を起こしているのである。退化しかけた機能を取り戻すのに優に一日かかった。更に悪いことに自分のお尻ももはや紙でごしごし擦られることを忘れてしまっているものだから、退化したお尻拭き機能を取り戻すべくごしごしとトイレットペーパーで擦っているとヒリヒリしてきてしまう。
こんなに文明による自分の機能退化を身近に感じたことはほとんど始めてである。
ウオッシュレットはある種の快感道具である。それゆえにトイレに行く楽しみのひとつにもなっている。ところで、ウオッシュレットのない国の人たちはこの快感を知らないのである。この快感を体験したらきっと自分の家のトイレにもウオッシュレットをつけようと思うだろうし、ホテルならお客様への快感サービスとしてウオッシュレットを備えようとおもうだろう。わたしなんか、ウオッシュレットのあるホテルと無いホテルなら絶対ウオッシュレットのあるホテルを選ぶ。宿泊料が倍も違えば別だが…。
快感は覚えたらやめられなくなる。
ウオッシュレットはまだ先進国でも設備されているところは少ないし、将来中国を考えるととてつもないトイレ需要つまり経済需要が存在する。
たとえば1億世帯あって平均10万円のウオッシュレットをその10%の世帯に売れるとしたら一兆円の需要である。実際はもっと需要は多いだろう。普通のトイレを使っている限り水洗になっただけでも十分かもしれない。しかし、日本のハイテクを駆使したウオッシュレットはその技術でこれだけの経済需要を生み出す。技術が経済需要を創り出すよい例である。技術のみが新たな経済需要を生み出せるといってもよいだろう。たんにお金をばら撒けば需要を喚起できるというのはきわめて一時的なことでしかない。
経済需要を喚起するのにこのような新しい技術成果を活用することをもっと考えるべきである。
とくにウオッシュレットはそのたんなる洗浄機能だけでなく新たな快感も提供する。私ならウオッシュレットの宣伝のコピーに
”あなたのお尻に新たな快感を………ウオッシュレット!”
を使ってみたい。

予定の無い旅

2010年7月 1日

昨日から休みをとって旅行中。
往復の便の時間とホテルの予約以外はいっさい予定なし。


ローラーバッグにTシャツと下着を数セット、短パンを2枚、ビーサンひとつを放り込み、デイバッグにはパーカー、文庫本、スケッチブック、アナログカメラ、それと残念ながらノートパソコンを詰め込んで昨日から出かけている。
往復の便のチケットとホテルの予約はしてあるがそれ以外は何のプランもスケジュールもアポもなし。
初日の今日は朝はひたすら何も無いところを歩き、昼はスーパーで買ったサンドイッチとビール、午後からはもう半年以上も悩まされている肩と腕の痛みの治療をかねてビーチで日光浴。
一時間もねっころがっていると皮膚がひりひりしてきたので起き上がってビーチのそばのバーに転がり込み、さっそくウオッカトニックをオーダー。これを飲みながら本を読む。
あっというまに1時間半ほど過ぎて一冊読み終わってしまったので、せっかく持ってきたカメラをとりだし周りを写す。アナログカメラは不便なことに写したものがすぐ見れない! パソコンにもアップできない。
帰ってから現像するまで何が移っているのかおあずけ。
露出計も何も無い超アナログのマニュアルカメラだからどう写っているのかまったくわからない。
とにかく距離計もなにのだから………すべてが目分量の写真である。
(ブログの写真はバックアップに持ってきたデジカメの写真)