今年の紅葉

2010年11月29日

今年の紅葉は見事である。
いちょうの葉の一枚の全体が一気に黄色に変わっている。
紅葉は木の葉の中に含まれる糖分が温度が下がることによって凝固して
色が変わる現象だそうである。
緩やかに気温が下がると糖分の凝固も緩やかで色の変わり方にむらが出る。
急に温度が下がると急に糖分が凝固し一変に色が変わる。
今年のように暑い夏から急に温度が下がるような気候が一番紅葉をきれいに
染め上げるようである。

訂正 鶴田さやか クリスマスライブ

2010年11月20日

一昨日のジャズライブのブログの終わりに来月のライブスケジュールを
書きましたが、日程が間違っていましたので訂正します。
正しい日程と場所は以下の通りです。クリスマスにちなんだジャズナンバー
が期待できるとおもいます。
  日時   12月17日(金曜日) 20時(ファーストステージ)
                  21時半(セカンドステージ)
  場所    芝プリンスホテルタワー 1階 ラウンジ

最近の某U

2010年11月19日

先週末、渋谷の道玄坂のヤマハに見たいものがあったので出かけた。
その帰りに道玄坂を降りてきたら真っ赤なUが目に付いたのでふらりとはいってみた。
おとといは銀座に出て、時々むしょうに食べたくなる梅林のスペシャルカツどんを食べて、次のスケジュールまでちょっと時間があったので平日の昼間の、これまた真っ赤なUを覗いてみた。
最近の、といってもこの二回だけの観察だが、、、ビッグUには若者がいない!
その代わり、週末の渋谷のビッグUには婆(ババ)っぽい人たちが、、、平日の銀座のUには某東洋の大国の観光客の集団と、、、、おどろくなかれ、私と同年代の高年齢の爺(ジジ)があちこちにいるではないか!
このあたりが、h&mと大きく違うところだろう。しかし、真面目に考えると、安くて、軽くて、暖かくて、、、、若者は家の外できるかもしれないパーカー、これとか、ダウンベストとは爺世代のホームウエアとしては肩もこらず、暖かく、年金の範囲で買えて、、最高である。
実は本当は高年齢層がビッグuのターゲットセグメントだと気がついたときには既に手元に暖かそうな縞々模様のメンズタイツなど抱えていた。これを履いて、家の中を闊歩したら白い目で見られるだろうか?

さやか ジャズライブ アト プリンス タワー

2010年11月18日

昨晩は、鶴田さやかさんの月に一回のライブがあるので、
芝のプリンスタワー一階にあるラウンジまで出かけていった。
寒い雨の夜だったが出かけていった収穫は十分だった。

鶴田さやかさんの本業は女優である。
今年の春に知り合いから紹介されたのがきっかけである。
ジャズを唄うというのは最初のときに聞いていたのだがあまり真剣に聞いていなかったのかぼんやりとした記憶だけだった。
それが、我々が仲間で新たに始めた音楽活動のイベントに今月の初めに来ていただいてそのときジャズを唄うということを再認識。
それも毎月一回芝のプリンスタワーのラウンジでソロライブをしていると聞いて急に関心が沸いてきた。そこで、昨晩出かけていったわけである。

いまどき、ソロライブを定期的にやっているのに、この人、自分自身のホームページもブログも無く、プリンスホテルのホームページにもラウンジなどのイベントカレンダーはなく、貰ったはがきのフライヤーには月日が空欄になっている、というきわめておおらかな活動なので所詮女優さんのお遊びイベントであろう、と思った。
ただ、プリンスタワーのこのラウンジはちゃんとしたステージのある場所だ、というので半分はその場所を見よう、という気持ちででかけた。
実は、芝のプリンスタワーには結構よい印象を持っている。芸能界の大御所プロダクションオーナーの記念パーティーが開かれたとき、2000人は入ると思われる宴会場への出入りが
非常にスムーズであったことと、知人に案内されて昼ごはんを食べにいったホテルのなかのてんぷらやがとてもおいしかったからである。
だから、きっとステージのあるラウンジもいい感じなのではないかと思って出かけた。

さやかさんはピアノ、ベース、ドラムスのトリオをバックにジャズナンバーを12曲ほど、楽しませてくれた。楽しませてくれた、というのは独り善がりでもなく、変にジャズのこだわりを出すのでもなく、適度なトークを交えて聞きに来ている人たちを出すぎずに楽しませてくれていた。これって結構まれなことである。

肝心の歌のほうは、女優さんの‘私も歌えるんです‘程度とおもっていたのは大間違い、島倉千代子さんから唄ってみたら、とすすめられたのが唄い始めたきっかけ、というだけに安心して聞いていられる。
しかも、これは天性のものだろうが声がアルトからメゾソプラノの音域でしかも声に芯がある。歌詞が明瞭、低音がよく響く。
一番驚いたのはちょっと硬質のゾクッとしたかんじをお客になげかけてくる。
久しぶりの大人を感じるライブだった。

ちょっと落ち着いた30代のカップルにかなりお勧めのイベントである。しかも場所が良い。変に都心のざわざわ感がない。

次回は告知されていないが多分12月15日の水曜日、20時と21時半からの二回公演。曲目はそれぞれ別々。チャージはワンドリンクがついて5500円。
ラウンジにはボックス席もあるので落ち着ける。
夕べは高年齢層のお客が多かったが20代後半から40代、50代まで幅広く楽しめるお勧めのライブである。

富司純子、化粧品メーカーを恐怖に陥れる?

2010年11月17日

某化粧品メーカーが満を持して発売した戦略商品がさっぱり売れないとのうわさである。
その商品、中高年の女性をターゲットにした化粧品だったのだが、、明らかに可処分所得にゆとりのある世代への若返り提案だったのがなぜ売れない?
どうも、その秘密は朝の連続ドラマに出ている富司純子が教えてくれそうである。実力とパワーのある脇役を配して新人女優を売り出そうという、新人にとっては大きな登竜門の某ドラマ。いつもその脇役の演技が楽しみなのだが、今回は脇役のはずが明らかに主役である(ひょっとしたら某テレビは方針を変えて従来の脇役のポジションを主役に変えたのかもしれない)。おばあさん役の富司純子がそれである。
アップにならなくても顔のしわが判る。アップになれば顔のしわの深さ、首筋のしわ、手のしわ、、、しわ、しわ、しわ、、、
しかし、その表情も姿も凛としていてとても美しい。眼光鋭く、口元はきりりとしまり、、
背筋はまっすぐに伸びていて、、、、
いっぽうで、中高年女性向けの化粧品のコマーシャルに出てくる高年にちかい二人の歌手のプリプリお肌の女性とは好対照である。
まだ、30代といっても通用するでしょう?といった感じのメッセージである。しかし、最近の消費者、とくに中高年女性はそれに引っかかるほどアホではない。
みんな、コマーシャルに出ている女性二人がプリプリ肌なのはなにもその化粧品のおかげだけではなく、背景には莫大なお金が掛かっていることくらい十分承知である。
むしろ、賢い高年女性は年相応の美しさにあこがれている。
そのような女性にとっては連ドラの富司純子のしわの顔は新しい価値観のもとでの憧れである。おまけにテレビに出ているのだからスッピンのはずは無いがスッピンを感じさせる化粧である。
いまや、しっかりお金を持っている高年女性はプリプリお肌にあこがれるのではなく年を重ねたことそのものが美しいという価値観に至っているとしたら、、、、某化粧品メーカーの戦略商品が売れないのももっともである。
こんな価値観がひろがったのでは化粧品メーカーにとっては脅威では?更なる疑問は、このような新しい価値観をもちはじめた高年女性はそのお金をいったいどこに使おうとしているのか?
そこにはどうも未だつかみきれていない新しいマーケットがありそうである。

‘おれおれ‘ビジネス

2010年11月16日

今朝、知人に偶然会ったとき聞いた話である。とってもおもしろく、実現性ガ十分ある話しなので紹介する。
その人いわく、‘おれおれ‘詐欺はいっこうになくならない。いろんな防止のてだてを打たれているのにもかかわらず、である。しかもこの不景気の世の中で、、、
もし、これを違法性無くビジネスモデルに出来れば成功間違いなしではないだろうか?という話である。
電話一本受けた老人がすぐ高額のお金を振り込んでしまうのである。それも電話を貰っただけで、、、、、そこにはいくつかのニーズの存在が感じられる。
まず、今の世界、年寄りはお金をもっている。男は夜の世界にも飽きて、ゴルフも馬鹿らしく、食事も痛風、糖尿病、高血圧となれば禅寺の坊さんのような食べ物しか食べられず美食
でお金をつかうことなどない。せいぜい、成人病の薬代か効くはずもないサプリメントを気休めに買うくらいであり、きるものといえば昔せっせと通ったゴルフの時のゴルフウエアがたんすの肥やしに成っているのを引っ張り出して着るので被服代も掛からない。
女性は、幾らテレビで中高年のスキンケア化粧品の宣伝をみてもいまや自分に自信ができているし、亭主以外の男と顔をあわすこともまれなのでスッピンでおおいばり、である。たしかに、塗りたくった顔よりもよっぽど健康的である。
家も30年も住んでいるともうローンも無くなり、最近の規格住宅は出来がしっかりしているので修理もほとんどかからない。
そんなわけで、お金の使い道がなく、毎月もらう年金もわずかながら溜まっていくので心配なのは死んだ後、これを誰が使うのか、どうせなら生きているうちにつかってしまわなければ、、、、とおもっている。
時々、孫とかのことをおもいだすのだが、この前いつあったのかも忘れるくらいなのに、連絡は無いか無いか、との期待がたまってきている。
そんなところに、金送れ、の電話が入ってくれば、いやおう無く、いそいそと銀行に飛んでいって振り込んでしまう。
この問題は詐欺であることである。詐欺でなければ何の問題も無い。お金を使いたがっている人に使うお手伝いをする‘おれおれ‘ビジネスはこれからの期待のビジネスモデルである。

新しいメディアは古い権威を崩す

2010年11月14日

尖閣列島のビデオ流出の話を見ていると、つくづく新しいメディアは古い権威を破壊することを実感している。
15世紀の中ごろ、グーテンベルグが活版印刷を発明し、初期にこの技術を使い、印刷されたのは聖書だった。
活版印刷が発明されるまでは書物は写本というプロセスで複製され、わずかながら広がったが聖書に関しては教会か修道院かあるいはごくごく限られた大金持ちでなければ手にすることはできなかった。
それが印刷されるようになると、何百部、何千部と作られた聖書は広がっていった。これにより、これまで聖書に書かれていた内容を独占していた僧侶、教会はその独占を失い、権威も崩れる結果になった。カソリックに対して新教が出てきたのはグーテンベルグの発明によって聖書が流通したことの影響が大である。
ただし、これまでのメディアは発信側は少数で限定されていて受信側は多数、という形であったから、メディアはそれなりの権威をもっていた。
ところが、インタネットの素晴らしさ、というか恐ろしさというか、、、、Youtubeのように誰でもアクセスできる共有メディアが出来、且つそこには誰でも情報の発信側になることができると従来のメディアが持っていた情報発信特権ガ崩されはじめた。そのよい例が今回の映像のケースだろう。
何百万人もの人がアクセスするメディアを通じで誰でも情報発信ができることの様子を実感したのが今回のケースだろう。
たしかイラク戦争のときも刑務所の中の写真がネットで発信されたことがあった。このような時代にはどんな情報でも公に曝される可能性を常にもっている、と考えるべきである。
とにかく、ことの良し悪しは別にして個人が自由に世界中に知らせることの出来る仕組みを持てるようになったことは、もう変わらないだろう。

中目黒駅東側の朝

2010年11月11日

中目黒駅東側の高層ビルの前の空いたスペースの朝の風景である。先日、たまたま朝出かける前に東側にある銀行のATMに立ち寄った時に、なにか男性が固まって立っているので不思議に思って少し近寄って写した写真がこれである。
空き地に設けられた喫煙場所の風景である。電車を降りてこれからオフィスに向かう人なのかこれから電車にのるひとなのか、多分両方だろうが、、、
まさに呼吸困難な状態になった人が酸素吸入をしているがごとく一生懸命タバコを吸っている姿は紫煙をくゆらすとはほど遠い光景だった。

ドクターバーンズ服用10日目

2010年11月 8日

ドクターバーンズを服用し始めて昨日で10日目。
服用するにつれ手足の先がいつもぽかぽかしているような感じに
なっているくらいの変化だったのだが、、、、
昨日は新たな反応があらわれた。
近くの山手通りの信号を渡ろうとしたら既に点滅信号になっている。
それを見て、いつもは道路を渡るのはやめて次の青信号を待つのだが
それがちょっと行動になった。点滅する信号をみて走り出したのである。
走って信号を渡ったわけだが、こんなことはこのところめったになかった。
横断歩道を渡り始めて点滅すると小走りにわたることはあったが
点滅する信号を見て走ってわたるとは、、、
これ、どうもドクターバーンズの影響のようである。

お米の話

2010年11月 7日

生まれてからこの年になるまでずっと米を食べてきていたのに米にわずかながら興味をもったのはごく最近のことである。
最近仕事で定期的に出かけてゆく雑司が谷で米の専門店というか、昔ながらの米やを見つけた。
何回かその前を素通りして仕事の場所に向かっていたのだが先日、帰りにとうとう店に入ってしまった。
ちょうど新米が出てきている時期である。その新米目当てに店に入った。玄米食にしてからもう10ヶ月ほどに成る。100%玄米である。
玄米を食べるようになって判ったことはお米の味の違いが白米よりもよくわかることである。
玄米に含まれている味の構成要素が多いためなのだろうか。店に入ると玄米が大きな袋に入って並んでいる。
産地別に並んでいて、今はちょうど新米が出始めているので21年、すなわち昨年生産されたものと22年の新米の両方が並んでいる。
当然ながら新米を買うために入ったのだが袋に入っている玄米の手にとってみるとなんとなく米粒が揃っていない。
ある特定の産地からのものなのでいろんな玄米を混ぜてはいない。そこで念のためと思い、同じ産地の21年の玄米を手にとってみた。米粒は新米よりもはるかに揃っているし新米でみられた欠けた米粒もごく少ない。
米屋に聞くと今年の米はどうも粒ぞろいが悪く欠けているものが多い、という。気温が高かった性だろうという。
目で見ると明らかに21年の米のほうがよいのでそれを一キロだけ買って帰った。一キロ640円、炊き上がった米に弾力性があり満足良く味だった。念のため次回は同じ産地の新米のほうを買って味を比べてみる。なお、買った米は十日町の有機肥料、天日干しのものである。
この米屋、このような情報はきっちり米の袋ごとにカードに書いてあり、しかも店の人と話しながらそれぞれを見比べていたら、この米は’棚田で作られた米ですよ‘と教えてくれたのでそれを買った。
なぜ棚田のような耕作のしにくい場所にも米を作るのかわからず長い間、土地が無いからあろうと思っていた。しかし、2年ほど前たまたま稲刈りの真似事に出かけたところが棚田であったのでこの人に聞いたところ棚田はおいしい米が出来るからつくるのだということを教わった。風通しがよく、水も流れていて、日当たりの具合がよいのがその理由だそうである。