iTune とApplestore

2012年4月24日

アップルはiPodからはじまりiPhone,iPadと我々の眼に見えて手にとって見れる商品に注目があつまり、その製品の強みがアップルの強みだと評価されていることが多い。
ところが、実はアップルの製品、サービスで一番の戦略商品はiTuneである。既に2000年代の初めにiPodを発売したときにはiTuneが音源提供サービスを行うプラットフォームとして登場した。そして、楽曲のダウンロードを1$程度で買えるサービスを提供しはじめた。つまり、この段階でユーザーの顧客管理、楽曲というコンテンツの管理、そして少額課金の仕組みができていたのである。
このベースがハードウエアの発展とともに機能を拡大していったのが現在のiTuneだり、Applestoreである。これをサービスプラットフォームと呼ぶならば通信のキャリアを超えて、アップルという製品を使う限りそのプラットフォームに乗っているわけだ。このようなプラットフォームを持つことが戦略的に必要であることが認識されるにつれて同じようなプラットフォームが登場している。
ひとつはアマゾンのアプリストアであり、もうひとつはグーグルのプレイである。アプリストアもプレイもアンドロイドの世界に向けてのプラットフォームである。さて、ここで気になることがひとつある。それはFacebookはこのようなプラットフォームを提供するだろうか?そしてそれはいつごろか?
今後はどうもこのようなサービスプラットフォームの戦いになりそうな予感がする。

市場にお金がまわらない?

2012年4月24日

最近には珍しく、近くの居酒屋でまったり飲んでいたところ、偶然隣に座った人とおしゃべりをはじめた。
こんな機会が生まれるのが居酒屋のよさである。しかも、知らない人とのおしゃべりは一人か二人でぼんやり飲んでいるときにその機会がやってくる。
しばらく話していると、お隣は銀行関係の人だ、とわかった。そこで最近感じていた世の中のお金の流れの少なさに絡んで質問を投げてみた。‘ところで最近の貸し出しの状況はどんなかんじですか?‘‘まあまあですよ‘、無難な返事である。当たり前でその晩偶然隣に座り合わせた男からの質問である。そこで、‘まあまあって預金と貸し出しのバランスはどんな感じなんですか?‘お隣さんはちょっと酔いを邪魔されたような顔で、‘そうですね。70%くらいですよ‘
‘え?!それって、預金の70%しか貸し出しにまわっていないのですか?‘いまどき、そんなもんですよ。自分の若い頃は(20年くらい前か?)は110%というくらいでしたがね。‘‘それじゃ、残りの30%はどうしているんですか?‘‘金融商品への投資で運用しているんですよ‘、‘なるほど、、、でも、金融商品投資はリスクが大きいでしょう?元本割れなんてことが起きる危険があるでしょう?‘、‘いやあ、我々はプロですから、そんなことはありません。‘
会話はここで今つついている煮込みの話に変わった。
さて、焼酎と水を交替に飲みながら考えたのは、預金の70%しか貸し出しにまわっていない。残りの30%は金融商品の投資運用だということは、そのお金の行き先は安全だけを考えれば日本の国債、リターンを考えれば海外の金融商品だろう。これはある意味日本のお金の海外流出であり、政府が国債で集めたお金を経済活動の促進に使われなかったら、実に現在はその通りといわざるを得ないが、、極端な言い方だが、日本経済というマシンは出しうる出力の70%で動いていることになる。つまり、3割減といってもいい。
きっちりと論理的には説明ができないのだが、なんとなく不景気の一因もこのあたりにあるのではないだろうか?
しかし、1980年代の銀行を知っている者にとって貸し出し比率が70%と聞いたときは、飲んでいる手が止まってしまった。

海外の原発への動き

2012年4月11日

いよいよ大飯は再稼動か?
どう言いつくろおうと今の政府の動きは再稼動の方向にまっしぐら、と見えてよいのではなかろうか。
そう見ると、経済産業省と東電の値上げバトルも茶番劇で、値上げしないためには原発を稼動させるしかない、という一見大人の判断にもっていこうとしているのだろう。
さて、ちょっと国外の動きを見ると面白いことが目に留まる。そのひとつはアメリカの外交専門雑誌のフォーリンアフェアズの記事である。どうもこの雑誌はアメリカの外交戦略とその方向を表明している雑誌のようで、そこで取り上げられている論文のテーマを見ているとアメリカの外交政策の重点がわかるような気がする。最近取り上げられているもので気になるのは一般の外交に直接関係ある国際間の問題に関しての論文を除くと、食糧と農業、インタネットと相互依存関係、さらにこの半年間で2回登場しているエネルギーと原子力発電である。これだけを見ると、やはり国の主要政策は食料、エネルギーとインタネットであることが判り、どうもインタネットはメディアの側面、自由と統制の議論、さらには国防というような観点で論じられている。エネルギーに関して原子力発電にからんだ論文では、当然福島の経験を反映した内容である。いくつか特徴的なことを取り上げると、当面は仕方がないが放射性廃棄物問題を解決しない限り今後の進展は無い、といい、当面の対処をしたがゆえに代替エネルギー開発を怠ると10年後に大きな後悔をする、という論調である。もちろん、その論調の重点は代替エネルギー開発への取り組みが重要だ、というところである。
もうひとつの三月号に掲載された論文では、大胆にも‘石油も石炭も原子力も必要としない世界‘というタイトルでエネルギーに関してのインテグレーティブデザインという考え方を提案している。ポイントは自動車、建物、電力生産の効率を高めていくことにより電力消費量を押さえ込むと同時に電力生産を現在の集中生産型から分散された再生可能エネルギーを中心としたものに近代化していく、という提案である。これはひょっとしたら現時点では夢物語かもしれないが、そのような論文がフォーリンアフェアズに掲載されていることが面白い。そんなあほな、と頭から否定せず読んでみる価値が十分ある論文である。
さて、この二つの論文から見ると原子力発電は抑制する方向にあるし、外交戦略として原子力発電に依存しようとしているところに対しては外交圧力をかけようという意図が見えないわけでもない。この背景にはアメリカ国内自身のエネルギーミックスが最近注目されているシェールガス開発の進展によって変わりつつあることだろう。さらに、なるほどと思うのは電力生産の分散化と配電のネットワーク化である。これは万一被害が発生してもをれを局所化し、相互にバックアップの取れることが必要だ、という福島のことからの教訓から来ているのだろう。
海の向こうはもう次を見据えた議論に進んでいる。
もうひとつ面白い、と感じたのはドイツのメルケル首相の変身である。この人はかなり熱心な原子力発電推進派だったようだが福島をきっかけに反原発に態度を変えた。その理由は、原子力の問題は倫理の問題だ、というのである。これには、驚きもしたしなるほど、とも思った。
そもそも、原子力発電は科学技術と経済の議論であった。それが現実に福島の事故が起こると社会の問題に広がった。それをさらになぜか判らぬが政治の問題にしているのが我らの政府である。
ところが、ドイツではさらに何歩か進んで倫理の問題として取り扱われようとしている。倫理は我々の人間が生きていくうえでの極めて根幹的な部分である。その問題だ、としたのは議論は目先のプラグマティックなことをはるかに越えた問題となる。
そこで、実は急に‘倫理と倫理的問題とはなんだろう‘と勉強しようとしているところである。今後、この議論がヨーロッパの社会でどのように展開されるのか、注目してみる。
メルケルが倫理の問題だ、といったとき、原発推進国の首相であるサルコジがどんな顔、どんな反応をしたかはまだ知らないがこれも興味あるところである。

早朝の花見客

2012年4月10日

家からあるいて5分足らずのところにサクラの名所がある。
年々、花の咲きっぷりがよくなると共に人出も最寄り駅の
改札口がうごきがとれなくなるほどになる。
そんなわけで、自分の花見時間はもっぱら早朝になる。
7日、8日の週末もちょっと出かけたものの人出の多さと
出店の数に圧倒され早々に戻ってきた。
昨晩は、今朝こそ見に行こうと決めて普段よりもちょっと早寝を
し、5時過ぎに起きて見に出かけた。風もなく、散り始める一歩
手前のまさに満開の花である。
花をゆっくり見ながら周りを見回すと、この時間にしてはほどほど
の花見客がすでに出ている。昼間はとにかく人が多いのでとても
人物ウオッチングどころではないが、早朝は花だけでなくゆっくり
人を眺める余裕がある。
もっとも多いのは高齢者の二人連れ、その次は季節に関わらず
見かけるランニングをしている人たち。その次が面白い。
実はこの近辺は朝まで営業している店がかなりある。それらの
店で働いているひとたちである。見分けるのは簡単で、かなり
疲れた様子ながら、年齢的には若く、しかも今朝見たほとんど
の人はビールの缶を片手にゆっくりあるいていた。
川沿いにあちこち座れる場所があるが、そこに座っているカップル
もいる。花見には場違いのちょっと派手目な格好の女性集団も
いる。これらは、昨夜からの夜遊びの仕上げの花見なのだろう。
朝の花見は静かで花も満喫できるが花見客をゆっくり観察できる
余裕があるのが楽しい。

今年も講義をはじめます。

2012年4月 6日

今年も来週、4月9日から早稲田大学理工学部表現工学科にて
講義をはじめます。毎週火曜日の10時半から90分です。
今年でとうとう5年目になります。
これまでも毎年半期の内容を変化拡張させてきましたが、今年も
かなり大幅に拡張するつもりです。
昨年から始めた学生が主体的に運営するワークショップは今年
もさらに発展して実施します。
来週の講義のパワポを添付します。

最大リスクを考える

2012年4月 4日

どんな意思決定にもリスクは伴う。
意図した通りにすすまないとか、事故が起きるとか。
意思決定が求められるときにその効果効能に重点を置いて対応する
人は積極的、前向きと言われ、逆にマイナス面を想定して危惧する
立場を強く取る人は消極的、後ろ向きといわれる。
そのときどんな判断をして決定を下すか?多数決か?
多数決で積極策が決定されたらそのとたんマイナス面は忘れさられ
てしまう。
経営では効果効能があるときは何とかそれを得たいと考える。基本姿勢はポジティブであり積極的である。ただし、同時にリスクについても考えておかねばならない。リスクは確率の産物であるが決して客観的ではなく、主観的ですらありうる。たとえばある技術を使って何かを行おうとするとき、よりすぐれた技術を使えるとリスクを減らすことが出来たりする。
いずれにしてもリスクを考えるのだが、ある決定を下すとき、その決定の結果起こりうる最大リスクは何かを考える。
その最大リスクをはっきりさせ、それが起きたときに経営として対処可能であればその決定は経営的に正しい決定といえよう。
‘安全‘という言葉がある。‘安全‘は‘完全‘を意味しているとは限らない。安全といわれていることにもリスクはある。そのリスクが発生したとき対処可能かどうかによって安全の度合いも異なる。対処可能であれば、‘安全‘は安全である。そうでなければ、決して安全ではない。