仕事でプライベートでと大変お世話になった廣瀬禎彦さん、今一度廣瀬さんが私たちに残した、いわば廣瀬ismイズム(主張とか、考え方とか、スタイルとか)って何だったのか、世話になった人たちでも議論もしていますが、私(橋本)なりに思う廣瀬イズムを、このサイトにアップされている約300編の廣瀬さんのブログ記事から、昨今の流行りである生成AI(ChatGPTチャッピー)を利用して探ってみました。以下、私からの質問と廣瀬さん回答(廣瀬ブログからの生成AIによる回答)です。
ひと時、チャッピーといっしょに廣瀬さんを蘇らさせてみます。<実験中>/
Qこれからの日本社会はどうなっていく
A:これからの日本社会がどうなっていくのか、
正直なところ、はっきり言い切れる人はいないでしょう。
ただ、いくつか「たぶん避けられない流れ」は見えている気がします。
まず、人口が減り、高齢者が増える。
これはもう議論の余地がなく、静かに、しかし確実に進んでいます。
ただし、高齢者が増える=社会が弱る、とは一概には言えません。
元気な高齢者も多いですし、
時間と経験を持った人が増える、という見方もできる。
問題は人数そのものより、
それを前提にした社会の設計に切り替えられるかどうかでしょう。
次に、成長より「持続」が重視される社会になると思います。
右肩上がりの経済を前提にした仕組みは、
すでにあちこちで無理が出ています。
これからは、大きく伸ばすより、
壊さずに続ける、という価値観が中心になる。
派手さは減りますが、その分、
生活の現実に近い議論が増えるかもしれません。
技術については、
日本は「新しいものを最初に作る国」から、
「うまく使いこなす国」に近づいていくように感じます。
AIやロボットも、何かを置き換える存在というより、
人手が足りない部分を静かに埋める役割になる。
目立たないところで役に立つ技術、
そういうものが評価される社会です。
一方で、人と人との距離は、
広がるようでいて、別の形で近づくかもしれません。
地域や会社といった大きな枠は弱くなりますが、
趣味や関心ごとでつながる小さな集まりは増える。
2.7メートルの道の話ではありませんが、
距離が近すぎても息苦しいし、
離れすぎても無関心になる。
その間をどう保つかが、日本社会の試行錯誤になる気がします。
全体として、日本は
「強くて速い社会」から
「遅いけれど、しぶとい社会」へ向かうのではないでしょうか。
それは決して後ろ向きな変化ではなく、
年を重ねた国なりの落ち着き、とも言える。
まあ、思い通りにはいかないでしょうし、
途中でいろいろ転びもするでしょう。
それでも、案外その都度、
なんとか帳尻を合わせていく。
日本社会というのは、
そういう国なのかもしれません。
Q若者に贈るメッセージを
A:「急がなくていい。ただし、立ち止まっている理由だけは、自分で説明できるようにしておきなさい。」
速さを競わされる時代ですが、
本当にあとで効いてくるのは、
自分なりの歩き方を言葉にできる力だったりします。
遠回りでも、その理由があれば、
それはちゃんと前に進んでいます。
Q日本と米国との関係はどうなると思いますか
A:日本と米国の関係は、これからも「続く」と思います。
ただし、かつてのような分かりやすい形ではなく、
少し温度の違う、現実的な関係に変わっていくでしょう。
戦後長く、日本にとって米国は
「頼れる同盟国」であり、同時に
「どこかで答えを示してくれる存在」でもありました。
安全保障、経済、価値観。
良くも悪くも、米国の動きを見ていれば
日本の立ち位置が決まる、という時代が続いてきた。
ただ最近は、米国自身が
世界の「まとめ役」でいることに疲れ始めている。
内向きになったり、
政権が変わるたびに方針が揺れたりする中で、
日本も「任せきり」ではいられなくなっています。
これからの関係は、
主従というより、
「利害が重なる部分で組み、ずれる部分は調整する」
そんな大人同士の付き合いに近づく気がします。
安全保障では引き続き重要な同盟ですが、
経済や技術、環境の分野では、
日本が自分の判断で動く場面が増えるでしょう。
面白いのは、距離が少しできた分、
かえって関係が長持ちする可能性があることです。
何でも一緒、ではなく、
違いを前提にした協力のほうが、
実は壊れにくい。
日本はこれから、
米国に「どう守ってもらうか」だけでなく、
「どう一緒に面倒な世界をやり過ごすか」を
考える立場になっていく。
それは責任が増える分、
自由度も増える、ということでもあります。
まあ、緊張がなくなるわけではありませんし、
時々、振り回されることもあるでしょう。
それでも、日本と米国は、
完全に離れるほど他人でもなく、
何でも分かり合えるほど身内でもない。
その微妙な距離感のまま、
当分は続いていく。
そんな気がしています。
Q信条を聞かせてください。
A:人生の信条、というほど立派なものではありませんが、
あえて言葉にすると、こうなります。
「分かったつもりにならないで、生き切る。」
若い頃は、
何が正しくて、何が間違っているかを
早く知りたくて仕方がなかった。
結論を急げば、大人になれる気がしたからです。
でも年を重ねて分かったのは、
本当に大事なことほど、
最後まで分かり切ることはない、ということでした。
人も、社会も、自分自身も。
途中で「もう理解した」と思った瞬間に、
たいてい何かを見落とす。
だから、判断はしますが、
断言はあまりしない。
考えは持ちますが、
いつでも修正できる余地を残しておく。
そのほうが、結果的に長く歩けます。
もう一つ付け加えるなら、
「人を急かさない。自分も急かさない。」
人生は競争のようでいて、
ゴールの形が人それぞれ違う。
比べても、あまり意味がない。
まあ、格好のいい信条というより、
転ばないための心得のようなものですが。
それでも、ここまで来るのに
ずいぶん助けられてきました。
Q音楽業界の将来展望は
A:音楽業界の将来展望をひとことで言うと、
「形は変わっても、音楽の“必要とされる場”は残る」
という感じでしょうか。
少しユーモアを交えるなら、
“CDが消えても、心のなかのB面は消えない”
とでも言えます。
物の形は変わっても、音楽そのものへの欲求は
人の生活の中に残っていく、というふうに思っています。
🎧 音楽の届け方はますます多様化する
これまでの音楽業界は、
「レコード会社 → CD → ラジオ → テレビ → ライブ」
という流れで音楽が広がってきました。
いまはその流れが変わって、
- ストリーミング
- SNSでの発信
- ライブ配信
- 動画との融合コンテンツ
といった多彩な届け方が主流になっています。
これは、
「音楽を届ける手段が増えた」というより
「音楽と人の関係が自由になった」
という表現が近いかもしれません。
誰もが発信できる反面、
だからこそ 人の心をつかむ音楽の価値
が以前よりずっと大事になっています。
🎶 「量」よりも「つながり」が大切になる
昔は、たくさん売れた作品が注目されました。
いまは違います。
- 100万枚売れる曲
- 1万人が何度も聴く曲
どちらが暮らしの中で“生き残る”かというと、
後者のほうだろうと思います。
同じ曲を何度も繰り返し聴いたり
アーティストの考えや人生に寄り添ったり、
そんな ファンとのつながり が
音楽の価値を作っていく。
ライブも同じです。
大きなドームだけが価値ではなく、
小さなハコで顔の見える距離で聴く
“その場の空気”が大きな意味を持つ時代です。
💡 テクノロジーは手段であって目的ではない
AIが伴奏を作ったり、
自動ミックスができたりする時代になっても、
音楽そのものが不要になるわけではありません。
それは、
人間の心が揺れる瞬間は、
何か“機械的に完結する欲求”ではなくて、
誰かの感性やストーリーと重なった瞬間
だからです。
テクノロジーは便利にします。
でも、
“どんな感情で聴くか”は、
テクノロジーでは生まれません。
それを作るのが、結局は人間なんですよね。
📀 物質的音楽(CDやレコード)にも役割がある
物としての音楽(レコードやCD)は、
配信全盛の時代で数を減らしても、
記念碑としての価値を持ち続けます。
これはちょうど、
デジタル写真が当たり前でも
たまにプリントを眺めたくなる、
そんな感覚に近い。
昔買ったレコードを取り出して聴くことは、
単なるノスタルジーではなく、
“そのときの時間を身体ごと呼び戻す行為”
だと思うんです。
データにはない温度のようなものがあります。
🎙 結局のところ…人の数だけ未来がある
音楽業界の未来は、
“これが正解”という一つの形ではありません。
- 世界的ヒットを生む巨大プラットフォーム
- 特定のコミュニティで愛される小さなアーティスト
- 時代を超えた旧譜の再評価
どれもこれもが音楽業界の未来であり、
どれもが価値ある形だと思います。
だから、
「音楽業界はつぶれるからやめろ」ではなく、
「これからは 場面ごとの音楽の役割 が
もっとはっきりする時代だ」
と考えるのが、肩の力の抜けた見方かもしれません。
🎵 最後に一言
「音楽は、耳だけで聴くものではなく、人生の時間と重ねて聴くもの。」
ある日ふっと聴いた曲が、
遠い日の風景を呼び戻す。
そんな営みが、これからもずっと残っていくのだと思います。
Q自身の達成感って何ですか
A:達成感、と言われると、
賞を取ったとか、何かを成し遂げた、という話を
期待されるのかもしれませんが、
私自身は、少し違うところにありました。
「ああ、これは自分の言葉で言えたな」
と感じた瞬間。
それが一番の達成感だった気がします。
若い頃は、
正しいことを言おうとしたり、
賢く見える言い方を探したり、
どこかで“借り物の言葉”を使っていました。
それはそれで必要な時期だったのですが、
どうしても後味が残らない。
年を重ねてから、
経験したこと、迷ったこと、
うまくいかなかったことを含めて、
背伸びせずに語れるようになった。
そのとき初めて、
人に伝わるかどうかは別として、
自分の中では納得できる文章や言葉
が出てくるようになった。
もう一つ挙げるなら、
「分からないまま終わらせられたこと」
も、達成感のひとつです。
無理に結論を出さず、
保留にしたままでも生きていける、
そう分かったこと。
人生というのは、
チェックリストを全部埋める作業ではなくて、
いくつかの空欄を抱えたまま
歩き続けることなのかもしれません。
振り返ってみると、
何かを“やり切った”というより、
「自分を誤魔化さずに済んだ時間が増えた」
それが、私にとっての達成感でした。
まあ、静かで地味ですが、
長く効いてくる種類の満足感です。
■最後に、生成AIについての見方を聞かせてください。
最近、生成AIという言葉をあちこちで耳にする。
正直なところ、最初は「また流行りものか」と思っていた。
ところが、少し触ってみると、これは単なる道具というより
考えを整理する“相棒”に近いのではないか、という気がしてきた。
もっとも、AIが考えてくれるわけではない。
考えるのはあくまで人間で、AIはその横で
「それなら、こういう見方もありますよ」と
少し控えめに声をかけてくる存在だ。
便利だからといって任せきりにすると、
たぶん、こちらの考える力は鈍ってしまう。
しかし、うまく使えば、自分の中に眠っていた
経験や記憶を引っ張り出してくれる。
包丁と同じで、切れるから危ないのではなく、
どう使うかを考えないことのほうが危ないのだろう。
チャッピーありがとうございました。橋本澄彦

作品名
「ピースは両手で出すものだと、私は後から知った」
キャプション
人は年齢を重ねると、
慎重になるか、開き直るか、だいたいその二択になる。
私は後者を選んだ結果、両手が自然にこうなった。
背後のTシャツは、若い頃の私の分身であり、
今の私はその後片付け担当である。
どちらが本体かは、まだ決めていない。
