狐と葡萄

2009年12月21日

イソップには現代に通じる寓話も多い。
でも、みんな短い寓話なので前後が省略されているのもある。この狐と葡萄の話にもかかれなかったところがある。
腹をすかせた狐は、木の下にきたとき、その葡萄の木から葡萄の房が垂れ下がっているのを見て、とってやろうとおもった。ちょっとジャンプしたが届かない。
あっさりあきらめて、‘どうせまだすっぱい葡萄だ‘とつぶやいて立ち去った。お母さん狐のところに帰った狐はお母さんにおなかがすいたのでなにかちょうだい、とねだったところ、お母さん狐は‘あれ、なにもとってこなかったの?‘と聞いた。。子供の狐は、‘途中で葡萄がなっているのを見つけたけど、すっぱそうだったのでとらなかった‘とこたえた。
実はお母さん狐も先ほどその木下を通っていたとき、葡萄の房には気がついていた。‘ああ、あの葡萄だね。もうすっかり熟していたようだけど、とらなかったなかい?‘。‘うん、すっぱそうだったから‘。お母さんははたと何かにきがついた。‘食べても見ないのによくすっぱいってわかったね。とってみなかったんだね。飛びついてみたの?‘飛びついたけど、とどかなかった‘、実は葡萄の木はそんなに大きくは無く、狐が一生懸命ジャンプすればとどくはずの高さなのだ。
お母さん狐は子供の狐がけっこう怠け者なのに以前からきがついていたので本気でジャンプしてとろうとしなかったのではないか、とおもった。お母さん狐は、それではもう一度言ってみよう、と子供の狐をつれて葡萄の木の下にやってきて、子供の狐にジャンプさせてみた。
子供の狐は適当に飛んでいるので届くはずはない。お母さん狐は‘もっと一生懸命飛ばなければとれるはずはないよ!‘しかられた子供の狐が思い切って飛び上がったところ、見事に葡萄の房をつかむことができた。
ビジネスでもよくあることである。このきつねのような怠け者は珍しくない。でも、葡萄はすっぱい、という言い訳のように自分の努力不足を棚にあげて、相手の性にするものがいる。
とくにこの手の怠け者はこの言い訳がうまいのでまわりはだまされやすい。典型的なのは、十分仕事がもらえるであろうと思われるお客様を担当している営業部員に上司がそのお客の様子をきくと、‘やるべきことはいろいろあるのですが、お客の担当者がやる気がないし、上に持っていってもなかなか通らないようです‘と答える。お客さんがそうなら仕方が無いな、で終わってしまうことが多い。
ところが本当はこの営業部員はお客様のところにはたまにしか行かず、上の人はおろか、担当者にもきっちり仕事の話などしたことがないのだ。こうやって、よいビジネスの機会があってもみすみす逃してしまうのがこの手の営業部員である。こんなことを防ぐには時には上司もお母さん狐のように営業部員といっしょに取引先に顔をだし、お客様と話をする機会を自分自身も持つことである。

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