一日、一週間、一月

2010年6月 4日

時間のサイクルの違い、感じたことないだろうか?
どうも最近このサイクルの同期に苦労する。
このところ、二箇所のまったく違うところと仕事をしてる。
ひとつは上海、ひとつは北陸の地方都市、そして自分の住んでいる東京。
上海との仕事では向こうの一日が東京の一週間である。
上海に何かを投げると一日で帰ってくる。その帰ってきたボールを東京で処理するのに軽く一週間かかる。
この違いの大きな要因は意思決定にある。
上海では、どうも社会の方向設定が明確のようで、その方向に乗っているものはすぐにイエス、そうでなければ即座にノーである。
ところが東京では社会全体、企業もふくめて自信のあるリーダーがいないためか基本的な方向設定が出来ていない。だから判断を下すときにそれぞれが独自にそれぞれの能力の範囲とそれぞれが引き受けられるリスクの範囲で判断を行わざるをえない。世の中、自分ではっきりした価値観なり方向性を持っていてしかもリスクが何かを考えて判断を下せる人はそんなにいない。
したがって、判断を下すのに時間がかかる。時間をかけたからといって優れた判断がなされるわけではないのだが……そう言えば普天間の件がよい例である。
だから上海の一日の処理が東京では一週間以上かかってしまう。
さて、地方に眼を移してみる。
そこでは、何かテーマを設定して作業に入るのだが、なぜそれをするのか、となぜ、なぜ、なぜを3回も繰り返すと凍り付いてしまう。やろうとしていること、やっていることの目的が共有されていないのである。そのために、さて、これはなんでやっているのだろう、ということを考えることから始まる。
したがって、当然ながらちょっとしたことを決めるのに一ヶ月はかかってしまう。上海の一日がここでは一ヶ月である。
時間的な生産性の比較をすれば地方の都市を1とすれば、東京は4、上海は28である。これは同じ能力で仕事をしていたら上海は東京の7倍のアウトプットが可能であるとも言える。どうも、こんなところに最近の中国の活況の秘密がある、ひっくり返してみると日本の社会の停滞の原因があるのではないか。
このようにサイクルスピードの違う仕事を同時並行的に手がけているとこのタイミングの調整がストレスになる。
そういえば、最近電車が止まって降りるとき、乗るとき、あるいはホームを歩くとき階段を下りるとき携帯のメールを見ながら周りとはまったく無縁のペースで歩いている人たちがいる。そんな人が前を歩いているとつんのめってしまう。しかし当の本人はメールに陶酔しているから何も感じない。
世の中、何もかものスピードが同期せず、ばらばらになっていてそれが一番スピードの遅いところに合わさってしまっている。つまり、社会のスピードその一番遅いところにいやおう無く合わされてしまっているから、社会の活動全体も一番遅いペースで動いている。それが社会も経済も不活性な根本原因ではないか、と思っている。
しかし、もし、それが原因であれば対処策はなさそうである。
今日は恐ろしいモノをみた。民主党の代表選挙の開票のときである。
束ねた投票用紙を一人の人が一枚一枚手でめくりながら確認している。多分投票用紙の記載の確認なのだろう。
その確認の作業を海外のメディアをふくめ日本中の人がジット見ている。
それが終わると投票用紙はカウントする機械にかけられ2度カウントされる。その数字を手書きでよみあげるのであろう原稿に書き写している。書き写された原稿が司会者に渡され、ようやく得票数が読み上げられる。
タイムマシンに乗った気分だった。多分明治時代のやり方から進歩しているところがあるとすれば投票用紙のカウントマシンが導入されたところだけだろう。日本の政治の明治時代からの進歩もこの程度ではないかと思わせるシーンである。
この作業を見ていてなにか今度の政府の仕事のスピードを象徴しているように思えた。
日本全体の仕組みのある程度のスピードアップが社会と経済の回復の一番の処方箋ではないだろうか。

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