わが街、中目黒(1)

2010年7月21日

東急東横線の中目黒から徒歩10分足らず、歩数で800歩くらいのところに住んでいる。
駅を降りて構内にある付近の地図を見ると駅の周りは実は住所が上目黒であることに気がつくだろう。
地名は上目黒なのになぜ中目黒という駅名になったか、というと何年か前に町名変更があって駅の周りが中目黒であったのが上目黒になったからである。
少なくとも私が高校3年のころまではこの駅の周辺の住所は中目黒だった。
中目黒はいろんな顔がある。
それをいくつか紹介する。

写真の家は長野県の家ではない。中目黒駅から歩いて10分ほど、通称 諏訪山と呼ばれる小高い丘の頂上の住宅街にある家である。
どうみても昭和の建物ではない。多分、大正時代の建物だろう。
かなり大きな日本家屋で道路に面して並行に家が建っていて、その道路に面した側全体に廊下があり、木枠のガラス戸がはまっていて、その外側には木製の昔のままの雨戸が付いている。
道路から3メートルほど高くなったところに家があり、道路面には大谷石の築地がある。
東横線の両側は大正時代に電鉄会社が住宅開発をしたらしく、いまでもそのときの名残の大谷石の築地が残っている。
時々この前の道を散歩するが、この家を見るたびに、まだ残っているか、と思いほっとする。

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