ウオッシュレットの無い生活なんて……

2010年7月 4日

数日前から旅に出ている。
何の問題も無く快適に、無目的に無計画に、順調にすごしているのだがひとつだけ不満がある。
昔、多分30年以上まえ、コーヒーに入れる粉末クリームのコマーシャルに“クリープの無いコーヒーなんてコーヒーじゃない”というコピーがあった。
それを拝借してこの不満を表現すると“ウオッシュレットの無い生活なんて生活じゃない”。
この数日、ウオッシュレットの無い生活をして二つのことを感じた。
まず卑近なところから言うと、ウオッシュレットの場合は排便の後のお尻は水で洗う。したがって、トイレットペーパーは使うがもっぱらお尻についた水滴をぬぐうのが目的であり、排便の後をぬぐうという目的はもはやほとんど無くなっている。
つまり、自分はトイレットペーパーで排便の後をぬぐうという行動をほとんど忘れてしまっていて、その技術もなくしてしまっていることに気づく。ウオッシュレットによって機能の退化を起こしているのである。退化しかけた機能を取り戻すのに優に一日かかった。更に悪いことに自分のお尻ももはや紙でごしごし擦られることを忘れてしまっているものだから、退化したお尻拭き機能を取り戻すべくごしごしとトイレットペーパーで擦っているとヒリヒリしてきてしまう。
こんなに文明による自分の機能退化を身近に感じたことはほとんど始めてである。
ウオッシュレットはある種の快感道具である。それゆえにトイレに行く楽しみのひとつにもなっている。ところで、ウオッシュレットのない国の人たちはこの快感を知らないのである。この快感を体験したらきっと自分の家のトイレにもウオッシュレットをつけようと思うだろうし、ホテルならお客様への快感サービスとしてウオッシュレットを備えようとおもうだろう。わたしなんか、ウオッシュレットのあるホテルと無いホテルなら絶対ウオッシュレットのあるホテルを選ぶ。宿泊料が倍も違えば別だが…。
快感は覚えたらやめられなくなる。
ウオッシュレットはまだ先進国でも設備されているところは少ないし、将来中国を考えるととてつもないトイレ需要つまり経済需要が存在する。
たとえば1億世帯あって平均10万円のウオッシュレットをその10%の世帯に売れるとしたら一兆円の需要である。実際はもっと需要は多いだろう。普通のトイレを使っている限り水洗になっただけでも十分かもしれない。しかし、日本のハイテクを駆使したウオッシュレットはその技術でこれだけの経済需要を生み出す。技術が経済需要を創り出すよい例である。技術のみが新たな経済需要を生み出せるといってもよいだろう。たんにお金をばら撒けば需要を喚起できるというのはきわめて一時的なことでしかない。
経済需要を喚起するのにこのような新しい技術成果を活用することをもっと考えるべきである。
とくにウオッシュレットはそのたんなる洗浄機能だけでなく新たな快感も提供する。私ならウオッシュレットの宣伝のコピーに
”あなたのお尻に新たな快感を………ウオッシュレット!”
を使ってみたい。

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