政治なんてどうでもいいや。

2010年6月12日

つい3日前から読み始めた本の冒頭、‘はじめに‘の1ページ目にでてくる言葉である。
最近の政情について書かれた本ではない。不利本の現代語に翻訳しなおした新書である。
めちゃくちゃ面白い。出てくる言葉が‘眼からウロコ‘である。
署名をしょうかいしてもいのだが、この本は中に出てくる言葉をいくつか紹介するほうがおもしろそうだ。
‘政治なんてどうでもいいや。‘は非常に正しい。そんなものに正面からかかわっていてはいけない。
上から見下ろして馬鹿にしていればよい。
これが真だとすると昨今のテレビはどうでもいいことに公共の電波を浪費している。
もっとも、テレビそのものもどうでもよい代物なのであろう。

‘そんなことを考えてはいけない‘ということをしっかりかんがえること‘
これはぜひ子供の教育に当たっておしえておきたいことである。学校では、そんなこと考えなくてよい、という言葉が先生からしょっちゅう発せられるから、それは‘そのことは大事なことなんだ‘と理解するように教えておこう。

‘身の回りだけでなく遠くまで見通すことのできる眼をもつこと‘
これはわが身に照らしても真です。
私はこれを教わった大川功氏の表現をそのまま使わせてもらって、‘顕微鏡と望遠鏡を持て‘と表現している。

‘善‘とは権力の感情、権力への意思、権力自身。‘悪‘とは弱さからでるすべてのもの。
‘幸福‘とは力がみなぎっていくこと、勝ち抜くこと、頂点を極めること。
この考えによれば、幸福を得られる人はごくわずかで、弱い人は当然ながら幸福にはなれない。
小沢一郎は善、ということになると思うのは短絡的でしょうが、、、

‘進歩‘は近代に作られた間違った思い込みである。‘
確かに進歩とは何かを定義せずに進歩を求めていないでしょうか。長い間経済の進歩が進歩だと思ってきたふしがあります。しかし、進歩とは何か、と考えたことはほとんどありませんでした。

‘人間は自分苦いのあるものを好きになってしまうことがままある。‘
これは納得!

‘同情などしていると人間は力を失ってしまう‘
人間社会も人間が動物である限り自然淘汰の世界だ、といいたいのでしょうか。たしかにビジネスの世界はこの原則が働いているのに、そのビジネスを形成している人間にこの原則が働いているかどうか、ですね。

‘普遍的は‘真‘など存在しない‘
これはおもしろいですね。普遍的な価値観の存在を否定し、真とか価値はそれぞれ個人の意識煮存在すると言っているのでしょうか。
そうなると普遍的な真が存在する、と信じたいのは自分の意思の弱さからの逃避のためなのかもしれません。

お釈迦様は‘利己主義は人間の義務である‘と説く。
なるほど、利己主義の逆は客観性でしょうか。客観性ばかりをもとめるとみんな同じようなよりどころのない見方になり、人間が本来もっている個性が薄れてしまいますね。

‘神‘とは僧侶の道具である‘
こんな風なことも出てきました。そうであれば教典は神という道具を動かすためのマニュアルなのでしょうか?
まだまだ、面白い言葉が出てきますが今回はこのあたりで終わります。

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