2010年11月14日
尖閣列島のビデオ流出の話を見ていると、つくづく新しいメディアは古い権威を破壊することを実感している。
15世紀の中ごろ、グーテンベルグが活版印刷を発明し、初期にこの技術を使い、印刷されたのは聖書だった。
活版印刷が発明されるまでは書物は写本というプロセスで複製され、わずかながら広がったが聖書に関しては教会か修道院かあるいはごくごく限られた大金持ちでなければ手にすることはできなかった。
それが印刷されるようになると、何百部、何千部と作られた聖書は広がっていった。これにより、これまで聖書に書かれていた内容を独占していた僧侶、教会はその独占を失い、権威も崩れる結果になった。カソリックに対して新教が出てきたのはグーテンベルグの発明によって聖書が流通したことの影響が大である。
ただし、これまでのメディアは発信側は少数で限定されていて受信側は多数、という形であったから、メディアはそれなりの権威をもっていた。
ところが、インタネットの素晴らしさ、というか恐ろしさというか、、、、Youtubeのように誰でもアクセスできる共有メディアが出来、且つそこには誰でも情報の発信側になることができると従来のメディアが持っていた情報発信特権ガ崩されはじめた。そのよい例が今回の映像のケースだろう。
何百万人もの人がアクセスするメディアを通じで誰でも情報発信ができることの様子を実感したのが今回のケースだろう。
たしかイラク戦争のときも刑務所の中の写真がネットで発信されたことがあった。このような時代にはどんな情報でも公に曝される可能性を常にもっている、と考えるべきである。
とにかく、ことの良し悪しは別にして個人が自由に世界中に知らせることの出来る仕組みを持てるようになったことは、もう変わらないだろう。