私の選ぶ2010年最大の出来事ー尖閣列島中国漁船

2010年12月22日

将来、2010年を振り返ると大きな転換点であった、ということになるかもしれない。
それほどいろんなことが起きていた。寅年はいろんなことが起こるというが、それに
しても、である。
司法が信用できる、というのは民主主義の根幹であるが、司法が信頼できないことがはっきりしたのも今年である。ある意味で民主主義を形成する一角が崩れた年である。
それらの中で自分がただひとつ選ぶとしたら尖閣列島の中国漁船の事件である。
領海侵犯とか衝突とかの起きたことも重要であるがさらに重要だとするのはマスメディアがもはや意味が無いことを露呈しいまやメディアパワーはマスでは無くミニに、個人にに移りつつあることを象徴する出来事であるからである。
メディアは何を我々に伝えるべきなのか?それは我々が知りたいこと、知るべきことを伝えるのがメディアの使命であろう。尖閣列島の事件に関しては中国漁船が海上保安庁の監視船にぶつかってきたことを報道すべきであっただろう。少なくとも何十年か前のマスコミならそれくらいのことはやっていたはずである。
30箇所にもビデオが保安庁の中でばら撒かれていたのだから本気で追いかけていたらスクープできたはずである。
何十年か前、毎日新聞の西山という記者は外務省の職員の女性と個人的なつながりを作りまでして国民にとっての大きな関心事であった外交機密をスクープした。
時の政府はこれを違法な機密入手として有罪にし、しかもスクープされた内容については政府を挙げて否定し続けた。それが最近の情報解禁で、実は西山記者の報道が正しかったことが判明した。
国民に知らすべきという判断のもとに取材し報道するのがメディアの使命であるのにそれをいまのマスメディアはしなかったのか、出来なかったのか、とにかくメディアとしての使命を果たさず、個人からネットへという経路で国民が知ることに至った。
これだけでメディアは無力になったとは言わないが、およそ本当に重要なことを報道出来る能力は著しくなくなり、ネットを見なければ我々の求める情報は得られないことを露呈したケースであった。
それと時を同じくしてウイッキリークスが脚光を浴びている。
今年はメディアパワーシフトの明確になった年である。
個人がマスに変わってメディアパワーを手に入れたことがはっきりした年である。
にもかかわらず尖閣列島の情報流出の件についてもウイッキリークスについてもマスメディアの議論を見ているとまるでお門違いでこっけいなくらいである。
見ようによっては問題の本質をはぐらかすために行っているようにすら見える。
そのうち、マスメディアは気がついたら個人の発信する情報を集約選択して報道し、それらについて判りやすく解説を加えるという新しい立場を見つけるだろう。
それがひょっとしたらマスメディアが生き残れる道かもしれない。

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