アンドレ ケルテスとメルシャン美術館

2011年7月21日

先週の連休に長野県の御代田まで出かけていった。
特に当ても無くぶらぶらしていたが、成果はメルシャン美術館で
アンドレ ケルテスの写真展を見たこと。
1960年代に亡くなったユダヤ人のフォトグラファー、で日常の
良くある様子というか気配を映している。
ほとんどの写真は極めて客観的ですんなり入ってくるが、
ただし、それぞれの何気ない写真にはっきりメッセージがある。
建物とか、景色とか、、、そのなかに水墨画のように人がさりげなく
写っている。この人が写っていなければ何の面白みもないのだが
ちょこっと写っている人とか生き物が写真のメッセージを作っている。
最近のデジタルで技巧を凝らした写真を見ていることが多いときに
このような写真を見るとなにかほっとする。
デジカメでもこんな感じの写真が写せないはずはない、、、
さっそく来週末はデジカメにこのケルテスの時代のレンズを付けて
写してみることにする。
何枚かポートレートもあった。ポートレートは究極の被写体ではない
だろうか。
何か機会があったらいろんな写真家のポートレートばかりの写真集
を作ってみたい。
このメルシャン美術館はまもなく閉館だそうである。
御代田に出かける大きな楽しみが失われつつある。
帰りに外庭にあるロダンの作品をみながら、フランス政府なら政府が
保持するだろう、いや、隣国の韓国でも21世紀は文化の時代として
文化振興に力をいれているから国が運営するかもしれない。
日本は一番になりたくない国のようだからそんなことはしないだろう。
しかし、一番でなくて良い、ということは二番である保障はどこにも
ない。ずるずるいつの間にか低迷してしまうのが目に見えている。
なぜって、二番、あるいは三番を維持するほうが一番になるより
場合によってはずっと難しいからである。

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