東北に日本の深圳を、

2012年1月20日

フジサンケイビジネスアイは明確にクオリティペーパーの方向に向いて歩んでいる。国内の製造業中心のビジネス情報に加えて中国、アジアのニュースソースとも提携しているが情報の内容としてとくに興味深いのは提携先のブルーンバーグからの記事である。
今回も数日前にブルーンバーグのコラムニストであるWilliam Pesak氏が経済特区についての提言を書いていたのでその要旨を紹介する。
日本は中国から学びたがらない、という設定のもとに中国の深圳経済特区のモデルを学べ、と言っている。
経済エネルギーを阻害する法律や規制の適用を免除する管理地域の設定である。その成功例としてあげているのが1980年代に鄧小平の指導のもとに広大な沼地だった深圳に設置された経済特区である。30年たったいまは人口1000万人の世界有数の港湾都市になっている。
深圳の成功を見習った経済特区は世界各地に広がっている。
小泉元首相は経済特区の設置を提言したがその構想は実現されなかった。そのかわり日本政府が導入したのは政府が大好きな債務とコンクリートだ。
無用の長物の公共事業プロジェクトの予算をまかなうため国際の発行とそれを作るためのコンクリートである。東北は深圳になり得るのではないか、というのが提言である。
その体制は大幅な規制緩和亜、企業活動を阻害する役所仕事の削減、新規投資に対する10年間の免税、常勤雇用を生み出す経営者へのインセンティブ、11%の法人税、ガソリン税の一時停止、などなど。
さらに踏み込んで、一定期間法人税を無税にするなどのドラスティックな施策を打てばいま法人税減税を強く望んでいる企業はこの地域への進出を狙うだろう。
あちこちでガラパゴス現象が指摘されているが、確かに日本の政府も他とおなじくガラパゴス大好きなのかもしれない。これまでを踏襲することよりも他所での新たな成功お事例を真似てもよいではないか。
自分の経験で思い当たることがある。
14年前、セガにいたとき、当時の米国本社はシリコンバレーのレッドウッドショアという場所にあった。あるとき、サンフランシスコのダウンタウンへの移転の話が持ち上がってきた。サンフランシスコ市から移転の打診をうけたのである。当時、サンフランシスコ市はマーケットストリートの南側のあまり治安の良くない場所の再開発を進めていた。その再開発中の一つのビルに入らないか、という提案である。
レッドウッドショアはとても景色と雰囲気の良い場所だが、当時家賃が高騰しつつあり、一方は市内ではありながら再開発地域なので家賃もほどほどであったが、環境の良い所からダウンタウンに引っ越すのはどうも気が進まずしかも社員の半分くらいの人にとっては通勤時間が5割以上長くなる。何度かサンフランシスコ市と話あっているときにとうとう市長に米国セガの
社長といっしょにあうことになった。当時の市長はブラウン氏でアメリカの立志伝中の人物である。
その席で市長が我々に質問してきたのは、、、、
 セガはなにかものを作っているか?輸出しているか?当時、米国セガは輸入商社的な事業であり、米国内では製造と言えるほどのことも輸出と言えるほどのこともやっていなかった。
ただ、ゲームのコントローラーは委託ではあるが製造していた。これはアメリカではジョイスティックタイプのコントローラーの需要が多かったからである。わずかながら、そのコントローラーを必要とする米国製のゲームソフトとともに海外にも送り出していた。
この話をしたら、ヴラウン市長曰く、それは立派な製造業だし輸出業ではないか。セガのゲームビジネスが大きくなれば製造もふえるだろう。それでは、米国セガの事業登録を製造業とすべきだ。サンフランシスコ市は製造業を積極的に誘致しているので製造業となれば減税措置が適用できる。
この提案で、米国セガはサンフランシスコのダウンタウンに移転した。東北の深圳経済特区化の記事を読んで、改めて10数年前のことを思いだした。物事を変えるのに必ずしも基本を変えることだけが方法ではない。
例外を作り、適用し、それが成功したら成功事例を拡大すればよい。例外は組織の内部から出てくる可能性は極めて少ない。企業においては例外を作り出せる特権を持っているのは経営者である。国でも同じだろう。

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