2012年4月11日
いよいよ大飯は再稼動か?
どう言いつくろおうと今の政府の動きは再稼動の方向にまっしぐら、と見えてよいのではなかろうか。
そう見ると、経済産業省と東電の値上げバトルも茶番劇で、値上げしないためには原発を稼動させるしかない、という一見大人の判断にもっていこうとしているのだろう。
さて、ちょっと国外の動きを見ると面白いことが目に留まる。そのひとつはアメリカの外交専門雑誌のフォーリンアフェアズの記事である。どうもこの雑誌はアメリカの外交戦略とその方向を表明している雑誌のようで、そこで取り上げられている論文のテーマを見ているとアメリカの外交政策の重点がわかるような気がする。最近取り上げられているもので気になるのは一般の外交に直接関係ある国際間の問題に関しての論文を除くと、食糧と農業、インタネットと相互依存関係、さらにこの半年間で2回登場しているエネルギーと原子力発電である。これだけを見ると、やはり国の主要政策は食料、エネルギーとインタネットであることが判り、どうもインタネットはメディアの側面、自由と統制の議論、さらには国防というような観点で論じられている。エネルギーに関して原子力発電にからんだ論文では、当然福島の経験を反映した内容である。いくつか特徴的なことを取り上げると、当面は仕方がないが放射性廃棄物問題を解決しない限り今後の進展は無い、といい、当面の対処をしたがゆえに代替エネルギー開発を怠ると10年後に大きな後悔をする、という論調である。もちろん、その論調の重点は代替エネルギー開発への取り組みが重要だ、というところである。
もうひとつの三月号に掲載された論文では、大胆にも‘石油も石炭も原子力も必要としない世界‘というタイトルでエネルギーに関してのインテグレーティブデザインという考え方を提案している。ポイントは自動車、建物、電力生産の効率を高めていくことにより電力消費量を押さえ込むと同時に電力生産を現在の集中生産型から分散された再生可能エネルギーを中心としたものに近代化していく、という提案である。これはひょっとしたら現時点では夢物語かもしれないが、そのような論文がフォーリンアフェアズに掲載されていることが面白い。そんなあほな、と頭から否定せず読んでみる価値が十分ある論文である。
さて、この二つの論文から見ると原子力発電は抑制する方向にあるし、外交戦略として原子力発電に依存しようとしているところに対しては外交圧力をかけようという意図が見えないわけでもない。この背景にはアメリカ国内自身のエネルギーミックスが最近注目されているシェールガス開発の進展によって変わりつつあることだろう。さらに、なるほどと思うのは電力生産の分散化と配電のネットワーク化である。これは万一被害が発生してもをれを局所化し、相互にバックアップの取れることが必要だ、という福島のことからの教訓から来ているのだろう。
海の向こうはもう次を見据えた議論に進んでいる。
もうひとつ面白い、と感じたのはドイツのメルケル首相の変身である。この人はかなり熱心な原子力発電推進派だったようだが福島をきっかけに反原発に態度を変えた。その理由は、原子力の問題は倫理の問題だ、というのである。これには、驚きもしたしなるほど、とも思った。
そもそも、原子力発電は科学技術と経済の議論であった。それが現実に福島の事故が起こると社会の問題に広がった。それをさらになぜか判らぬが政治の問題にしているのが我らの政府である。
ところが、ドイツではさらに何歩か進んで倫理の問題として取り扱われようとしている。倫理は我々の人間が生きていくうえでの極めて根幹的な部分である。その問題だ、としたのは議論は目先のプラグマティックなことをはるかに越えた問題となる。
そこで、実は急に‘倫理と倫理的問題とはなんだろう‘と勉強しようとしているところである。今後、この議論がヨーロッパの社会でどのように展開されるのか、注目してみる。
メルケルが倫理の問題だ、といったとき、原発推進国の首相であるサルコジがどんな顔、どんな反応をしたかはまだ知らないがこれも興味あるところである。