リアリズム追求の罠にはまった?大河ドラマ

2013年1月27日

某テレビ局の大河ドラマが面白くない、と言われて何年になるだろうか?福山雅治のキャラクターで救われていた龍馬伝以前からもそんな意見がでていたが最近ほどではなかった。
毎週一回、年間50回もひとつのテーマで持ちこたえることのできるテーマはそれほど多くない。その重さゆえのむつかしさもあるだろう。
しかし、よく見てみると、歴史ものであるがゆえに、という感じで史実に忠実に、時代考証ぬ忠実に、ある意味でのリアリズムの追求に縛られてしまっているゆえにエンタテインメントとしての破天荒な筋立て、展開ができないところに番組を面白くしたくてもできない原因があるのではないだろうか?
番組でちょっと面白いことをやってみると一部の視聴者から、そんなことは史実にはない、というクレームが入る。その手の視聴者にとっては史実にないことを歴史ドラマに出すのは史実=歴史の冒涜だ、と言わんばかりではなかろうか?
従って、番組制作側としては最大限史実を尊重し、史実にかんするリアリズムの追求に走る。
ところが、現実的なことほど退屈なものはなく、夢のないものはない。
おまけに、史実を尊重する人たちに一言コメントするとすれば史実とは現実にあった歴史のごく一部でしかない。それもそれらの歴史のなかで極めて常識的なことしか史実として残ってはいない。変わったこと、非常識なことはおおよそ史実からもれていることが十分想定される。
ドラマの製作者に提案したい。
史実を尊重するのはかまわない。しかし、史実だけがその時代の事実だとは思わず史実以外の部分に想像をめぐらしドラマを面白くすることにチャレンジしてほしい。見ている方にとってはエンタテインメントなのである。

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