デジタルはマーケティングをどう変えたか?

2010年5月25日

デジタルはマーケティングをどう変えたか?
こんなお題をいただいて、6月8日の夜、サンケイ主催の大手町ニュースカレッジで
社会人向けに新しく出来た夜のカレッジで講演することになった。
デジタルって、、、マーケティングって、、、?
とにかくこのつかみ所の無いキーワードで90分話すのは結構しんどそうである。
話は出来るだけ具体的なことのほうがよほど話しやすい。
そこで一計を案じ、いま毎週教えている早稲田大学の教室の学生に‘デジタルってなんだ?‘
という質問をしてそれぞれの答えを書いてもらった。
これを講演の枕にしようという魂胆である。
quize20100525.docをダウンロード

クイズ2010年5月25日

デジタルってなに?

人件費、諸経費、その他もろもろがカットできる新しいメディアのあり方

デジタルとは情報を量子化した桃と考える
すなわち、様々な情報を量に変換し、1と0の配列で表したものといった具合
これによって複製は可能になる、と同時に唯一性は失われる
今私が書いているこのドキュメントもスキャナで取り込み僕の記した情報を
量子化した瞬間、それはデジタルになるだろう
ちょっとさみしい

デジタルとは人の現実では不可能な想像を実現できる二次的な世界であるとおもう。
人はデジタルによって新しい通信手段を得たり絵や音楽などの新しい表現方法をえた。
セカンドライフなどもその最たるものかもしれない。

アナログの反対
世の中を便利にしたもの
電気でうごくもの

アナログでないもの
実体の無いもの

かみなど何かの媒体を使用して情報を載せるのではなく数字として表された情報

人間の獲得したあらたな感覚器官のひとつ
人と人とノ距離と時間をある程度無視し、時に五感以上のものを伝達する
若者の携帯電話依存などはこの感覚に埋もれているため

スピード、情報量に特化したメディア

一言で言えば0と1のみで表現できることだと考える
そしてその精度はコンピューターのスペックに依存する
また、遠距離を早く移動できる

何らかの機械を使う表現方法
実体が存在しないメディア

アナログと対になるもの
デジタルはアナログを簡略化したもの

ある情報が持っている情報量をその情報を必要な精度で符号化して
0と1の1ビットパルス列としてあつかう、または半導体はヒステリシスの
オンオフなどで記録すること。冗長性を持たせることによって伝送誤りを
任意に減らせること、複製してもデータ誤りが無ければまったくおなじもの
としてコピーできる等がアナログ情報との大きな違い

すべてをゼロとイチで表せるように人間が作り出した世界

離散数のこと
1,2,3、、、、8,9,10もすでにデジタル
アナログ時計でもカチカチと一秒刻みで動いていたらデジタルだとおもう

教えることから学ぶ

2010年5月24日

毎週、1講座だが、大学で教えている。
理工系の専門課程で20人足らずのクラスである。講座のテーマは昨年とおなじ。
テーマは同じでありながら話している内容はずいぶん変わってきた。
講座のテーマはコンテンツとメディア、それにかかわるビジネスについて。
マクルーハンは彼のメディア理論からインターネットの登場を予想していた。
そこで、この講座ではインタネットの視点からマクルーハンのメディア理論を
眺めてみること。
さらにはメディアとコンテンツの相互の依存関係を見ながらメディアが変わると
コンテンツもその影響を受けることを眺めている。
マクルーハンの理論を見ながらまだ実現されていないインターネットのもつ
可能性について探ってみることも試みている。
こんなことを話そうと、基本になるテキストはマクルーハンの著作を使っている。
マクルーハンのネタ本は去年とおなじである。
同じネタ本をつかっているのだが、今年もその本を読んでいて去年は気がつかなかった
ことに気がつく。同じ本を同じ目的で読んでいるのに、である。
したがって講座で話そうと思うことも変わってきている。
もし、講座を持って講義をしていなかったらこんな本の読み方はしなかっただろう。
ネタ本を読んで、考えて、だけで終わるはずの読書が講義をしようと思うと考えた
ことを表現しようとする。
表現しようとすることでさらに考えが深まったり広がったりする。
講義の終わりに毎回クイズを何問か出す。
最後の15分くらいの時間をつかう。
できるだけ明確の答えのでないクイズを考える。
理由はいろんな答えとか反応が見たいからである。
多分、大学に入ってくるまでは単一の正解がある問題ばかり、その唯一の正解を
答えさせられてきたはずである。
世の中、正解がひとつだけあることのほうが例外的である。
クイズの答えを見ることが楽しみである。みんな15分間、かなり真剣に答えを書いている。
正解が無いのだから自分の考えを書くのである。
この答えを読むのがたのしみである。自分が考えもしない答えもあるし、にやり、とほくそえむ
答えもある。いろんなことを教えられる。
みんなの答えは次回の講義のときにみんなにフィードバックする。
これは、最初のクイズのときに学生からの要望だったし、実は自分もフィードバックする
つもりだったから。
教える、というチャンスからいろいろ学んでいる。だから毎週、講義の日が楽しみである。

採用側の視点からみた就職活動

2010年5月20日

私の特技の一つは採用である。
人を採用する目利きだという意味ではない。しかし30代のはじめから採用にかかわり
昨年までの30年間の採用経験から得た、就職活動の心得のようなものがある。
今週金曜日、5月21日の19時半から高田の馬場にある東京コンテンツプロデューサーラボ
(TCPL)というところでこのラボが定期的に行っている公開講座のひとつとして採用側からみた就職活動の心得の話を新卒の場合と既卒の場合についてはなすことになっている。
まだ、申し込み可能だから興味のあるかたは東京コンテンツプロデューサーラボのホームページを見て申し込んでほしい。
就職活動は深刻である。
今年の新卒採用は昨年以上に厳しいだろう。
業績が回復している企業も見られるが採用を増やせるところは成長産業だけである。
既存の産業では雇用調整が業績回復のベースになっているからこのようなところでは採用を
増やすことはできないし、最近のギリシャの財政破綻が万が一飛び火するようなことがあればまたまた世界中が不況に入るだろうから企業としては気の許せない状況である。
新卒既卒含めて私はこの10年間ほど年間で少なくとも200通の履歴書を、多いときには年間4000通から5000通の履歴書を見ている。書類選考の段階は自分でやっている。
人事は自分達でやる、というのだが手分けしてやってみると人事の選考の視点と私の選考の視点はかなり異なる。したがって、人事に任せて書類選考すると私の視点からは欲しい人材がこぼれてしまっていることがあるので自分で書類選考をしている。
書類選考から1時面接までは自分で眼をとおす。一次面接をパスしてきた応募者はもうその資質の差はわずかだからあえて自分で面接することも無いのでほかの役員、人事にまかせることもある。
人の採用は大きな投資である。しかも、人の資質、性格の集まりが企業文化をつくりだす。
そのような重要な仕事は安易に人事に任しておくわけには行かない、というのが持論である。
就職活動で最も重要なのは書類選考に残る事である。
それはいつも履歴書の書き方で決まる。
その履歴書の書き方の重要性が新卒のみならず既卒においても応募者が十分理解しているとは思えない。
たとえば、学生の新卒の場合、安易な就職活動ガイドブックの影響ではないかと思うが、履歴書に書かれていることはもっぱらクラブ活動、バイト、海外旅行の3点である。何を学んで何を得たかを明確に書いている履歴書は25%程度にしか過ぎない。
私の場合は先の3点だけしか書かれていない履歴書は自動的に不採用になる。
既卒の転職組の履歴書ではその内容に疑わしいモノがが結構見られる。
やたらに給与水準が高かったりするのもその一例である。人事はとうぜんながら業界の給与水準も職種での給与水準も知っているのでこの手の者はすぐわかる。すぐに不採用ボックスに入る。
面接についても同じようなことがある。
面接とはしつもんされたことにたいして的確に答えることである。
面接する側の目的は二つある。履歴書に書かれていることの確認と、眼で見て話してみてその人間的な資質を評価することである。
したがって、質問に適切に答えることがきわめて重要なのだが質問をきっちり聞かずに発言したり、暗記してきた売り込みトークを質問に関係なくしゃべりだす応募者もいる。これらを排除していくと自動的に採用すべき応募者が絞り込まれてくる。
人は見かけが半分である。つまり見かけがその評価の50%を支配している。したがってきっちりした服装と身のこなしが必要である。服装はお仕着せのリクルートファッションで統一されてきているが身のこなしがやはり馬脚をあらわす。
これが新卒はまだよいのだが、既卒転職組は服装に対しての神経の払い方が不十分なケースが多い。
服装だけでもきちんとすれば就職活動成功の確率はあがる。
転職組の中でこれといった特別なスキルをもたない中間管理職が一番大変である。
世の中全体として中間管理職入らなくなってきているからである。
このような人たちにまず必要なことは自らのスキル獲得のためのトレーニングだろう。

脳波とテレパシー

2010年5月10日

5月9日の日曜日の朝、テレビで脳波の研究の番組をやっていた。
脳波をその人の信号発信ととらえている。
脳波を測定しながら雑誌を見させる。
見ている人の注意あるいは興味があると脳波に変化がおきる。
測定した後、雑誌を見てもらった人にどのページに興味をもったか
を答えてもらう。その答えどおりに脳波が反応しているのは当然だが
答えに無いところでも反応している。
潜在意識が脳波にあらわれているのだろう
この番組の二つ目の実験は車椅子に座った人に脳波測定器を付けてその人が
ある約束事にしたがって何かを思い浮かべるとそれが指示となって車椅子が動いたり
止まったりする。これは脳波の測定器から電気信号を増幅しその信号を車椅子の駆動
機能に伝達して動いたりとまったりしてるわけである。
このようなことが実用化されると言葉が不自由になったり手が不自由になったり、
いろんなところがかなり重度の不自由さになったひとでもその人の意識を脳波を通じて
コミュニケーションできる仕組みに発展させることができる。
これがこの番組で取り上げている研究の目標のようであった。
この番組を見ながらひらめいたことがある。
この実験では脳波測定器を付けてそこから脳波信号を電気信号に変換して車椅子の
駆動装置に伝えて車椅子を動かしている。
ひょっとして脳波信号の出力を高めることが出来て、その脳波信号を受信する仕組みを
作ることが出来たら意識するだけで者を動かしたり変化させたりすることができるのでは
ないか、とおもった。いわゆるテレパシーである。つまり、テレパシーとは脳波の出力が
きわめて強力に出来ればコミュニケーションが可能になるのではないか?ということで
ある。
さて、それではどんな訓練をすれば脳波の信号の出力を高めることができるのか、そして
その脳波信号を受信するデバイスとしてはどんな機能が必要なのか?
これってコミュニケーションエンジニアリングと言う分野の面白い研究テーマではなかろうか?
すくなくとも脳波信号の出力を強くする訓練をする方法はあるような気がするし、それが出来ると何か変化がありそうだが、、、、、
どなたか、脳波信号の出力を強化する訓練方法を知っている人がいらしたら訓練方法を
教えてください。
この事例はいろんな形に発展出来そうな気がする。
たとえば、自分の脳波信号の出力を高めるのに脳波自身の出力を高めなくとも脳波信号を
増幅する装置を頭につけるとか、、、、
なんとなくちょっと危ない研究かもしれないが、、、