和服の古着屋

2014年9月11日

今日はほどよい天気だったので、昼前から佃島まで出かけた。
ついさきごろ佃煮が食べたくなって近くのスーパーで買ったのを
食べたところ雑魚の佃煮がたべたくなり、久しぶりに佃島の佃煮屋
まで足をのばした、というわけである。
足をのばしたといっても地下鉄の乗り換え一回で30分で行ける距離にある。
お目当ての佃煮が買えてご機嫌なところ、天気は絶好の散歩日よりなので佃島の中をうろついていたら間口一間半たらずの小さな和服屋があり、古着も扱っていたので覗いてみたくなり入ってみた。
古着は買い集めたところから仕入れてくるのだろうか店の場所、店のタイプでそれぞれ特徴がる。最近は古着ブームだから大手古着屋のチェーンの店があったりするのでだいぶん事情が変わってきたものの、個人がやっている店ではその土地柄と店の主人のタイプで品揃えに個性が出る。
その店に入ったひとつの理由は佃島という場所柄、粋な柄の古着があるのではという期待があったからである。もちろん、行きずりの店だから買うつもりもないし、冷やかしのつもりで入った。
ところが、予想が当たったというか期待通りというか、何着も積まれた古着のなかをパラパラのみているところで、細かい亀甲の結城紬を見つけてしまった。
色合いといい、織りの模様とその細かさといい、さらには少し着こなされた風合いといい、とても味わいのよいものである。
もちろん、女性ものなのだがこのレベルの結城は男女を選ばない。男物にし立て直せば良いし、女物の方が洒落た柄と色合いのものがあるので、男物に仕立てたときには粋な感じに仕上がる。
しばらく眺めて店主とおしゃべりなどしていたのだが衝動買いに至らず、店をでた。
まさに、後ろ髪を引かれる思いで。

今日の代ゼミは明日の大学

2014年9月 9日

少し前のことになるが、代々木ゼミナールが全国に29校あった施設を
22校閉じて、7校に削減し、しかも東京、大阪など大都市の校舎のみ
残すことを決定したという。なんと、数の上では7割の削減である。
もっぱらの反応は受験生の減少による事業規模の縮小ととらえ、少子化の影響オガここまでに及んだ、という感じだが、、、、
このニュースを聞いてドキッとしたのは、数年後ではなく、すぐ近い将来の大学の姿が想像できたからである。
さて、代々木ゼミナールは22校閉じたが、閉じた数に比例して予備校生は減るだろうか?
ほとんどの閉じられた施設は地方あるいは首都圏近郊である。、
代々木ゼミナールは閉じた校舎の代わりにネットを通じてのサービスを提供するように考えているのなら、さほど予備校生は減らない可能性がある。しかし、一方で確実に減るのは講師の数である。
予備校生にとって、ネットを通じてトップクラスの先生の講義を受けられるならそのほうが良い可能性は十分ある。
今回の代々木ゼミナールの事業規模縮小で最も影響を受けるのは閉校となるところで教えていた講師たちだろう。
さて、これと類似のことが大学の環境で起こるのは明らかである。大学は閉校してしまうのか、あるいは合併するのか、、、、1990年代から進んできた産業のリストラと同様なことがとうとう、まもなく大学の世界でも起こる。一方、大学の世界ではmoocをはじめとしてネットを活用した講義の配信がどんどん広がろうとしている。多分大学の世界のリストラはこのネットでの講義の配信の進み具合と合わせて進んでいくだろう。
そこで、リストラの対象となるのは、大学教員と大学職員であることは明らかであり代々木ゼミナールほどのドラスティックな変化が起きたら、、、、とんでもない数の教員、職員がリストラに会う。しかも、大学はある意味で情報サービスの塊である。その意味でネットにはとても親和性が高い。その世界で生き残れるのは予備校の名講師だけが残るであろうと思われる
のとおなじで、名教授、名教員しか残らない可能性が大である。
大学の教育という機能はこのような影響が起きるのが見えている。、そのとき、大学のもう一つの機能である研究という部分はどうなるか、まだ、予想はつかない。
この部分は産業界のリストラではそれほど経験のなかった分野である。

ドイツのメルケル首相と日本の小泉元首相

2013年10月 4日

ドイツのメルケル首相が再選された。
報道によれば圧倒的な支持だそうである。
メルケル首相については1950年代後半のアデナゥアー氏になぞらえてその圧倒的な指導力を伝えている。その人柄の表現の中で面白いのは「偏見のないリベラルな保守の代理人」という表現である。
私がメルケル氏に特ぬ注目するようになったのは3.11のあと、メルケル氏が福島の事故を見て原発廃絶を宣言したときである。それまで熱心な原発推進者だったはずなのに、なぜ?と思ってのがきっかけである。
その時のメルケル首相の回答は、原発廃絶は経済的でも技術的な問題でもなく倫理的な問題だからである、といったことである。この一言を聞いて日本の政治家あるいは財界人との考え方の次元の違いを感じた。日本の政治家あるいは財界人は二次元あるいは一次元で物事を考えているのに対しなにか三次元的に考えている、と感じたのをはっきり記憶している。
ところで、最近、小泉元首相が原発廃絶を唱えている。小泉氏の発言に対するコメントは実に二次元的、あるいは一次元的ばかりであり、10月1日の発言に対するネットのコメントを見てるが倫理的観点からのコメントは皆無である。
先のメルケル首相の原発廃絶の発言と小泉元首相の発言についてその意図するところになにか共通のものを感じる。それは小泉元首相の発言も政治的、技術的な次元を超えて社会倫理的な観点からの発言ではないか、と感じられるからである。
小泉氏の発言によって原発の議論にいつごろ倫理的な観点が入っていくるか、しばらくこの発言にたいするコメントを追いかけてみるつもりである。
ポイントは使用済み核燃料の処理ができないのがわかっていながら、これを見て見ぬふりをして推進することが本当に経済的であるのか、社会的であるのか?ということだろう。

赤い靴、赤い底の靴

2013年9月24日

まだ昼の明るさの残る夕方、銀座並木通りを歩いていたら、前を歩く若い女性がなにか気になる。
何が気になるのか、と目を凝らしてみたら極端に細いピンヒールの靴の底が真っ赤なのである。3、4メーター前を歩いているのだが、夕暮れの薄明かりの中で歩くたびにその赤い底が目に付く。
そこで突然頭に浮かんだのは、、、
「赤い靴、履いていた女の子、異人さんに連れられていっちゃtった」
赤い底の靴を履いた女性は、どんな異人さんに連れられていくのか?
赤い靴を履いていた女の子と同様に、赤い底の靴を履いていた女性の靴はきっと異人さんに買ってもらったのだろうか?
こんなことが思い浮かぶのは銀座ならでは?

消費税引き上げと法人関連税の引き下げ

2013年9月23日

大学での講義資料以外で書くのはほぼ半年ぶりくらいではないだろうか。
このところ、昨年11月ごろから気管支炎から気管支喘息に発展、5月
頃からはパソコンに向かうと咳が出るようになり、7月、8月は半分位転地療養のつもりで長野にいたのだが東京に戻ってくると咳が続きパソコンに向かうと発作的二咳をしてしまう、という状態がつづいた。ところが二週間前に病院を変えて診察を受けて、アレルギーでは、と診断され、その関連の薬を飲み始めたら、発作的な咳は止まり、このようにパソコンに向かっても発作がでなくなってきた。
そんなわけで、久しぶりにキーボードをたたいている。消費税の引き上げは前政権から議論をされ、財政再建を考えるとやむを得ない、というところまで多くの収入の厳しい人も含めて
納得してきていたのではなかろうか。そんな時に、消費税の引き上げと対応して法人税の引き上げ策の一案として企業の復興税の廃止を前倒しするという。さらに、ただし、復興費用は減らさない、という。
しかし、その財源についてはなんの話もない。おおかた、補正予算を組むのだろうがそうなると国債の増発、つまりは財政の悪化だろう。
まさに「貧から富への富の再分配」ではなかろうか?何か変だと思いつつ、そういえば過去に似たようなことをした政権があったのではないか、とちょっと調べたら1980年代の米国のレーガン政権である。レーガンは当時富裕層の減税政策をとり、実はこれが米国の社会を支えてきた中流を崩壊させ解消しきれないほどの所得格差の社会を作ってしまったスタートポイントである。
そういえば、当時のレーガンの経済政策はレーガノミクスと呼ばれていたが、いまの政権はアベノミクスと呼ばれている。その呼ばれ方にも政策だけでなく不思議な共通点がる。