国際ロボット展

2009年11月29日

先週の行動のハイライトは国際ロボット展を見に行ったこと。今回は第9回目らしいが私が見に行ったのは今回が初めて。知人からロボット展があることを聞き、ふらっと見に行った。
場所はお台場のビッグサイト、広すぎて普通はうんざりする場所である。今回はどういうわけかうきうきして出かけていった。ビッグサイトのかなり広いスペースにぎっしり展示ブースが並んでいる。しかも、大メーカーの大きなブースもいくつかあるが中小規模のブースが数多くならんでいる。
この小さなブースがたくさんならんでいるところがロボットの分野の元気のよさを現している。これからまだまだ発展の余地がある証拠だ。この数多くの小さなブースの出展団体のなかからそのうち大きく成長するところがあらわれる。出展しているのは大きく分けて三つのグループ。ひとつは産業用のロボットを中心に作っているメーカー。二つ目は産学官共同の主に地域に根ざした団体。神奈川、大阪、北九州といったところである。かれらはおもに新たな技術開発の成果を中心に展示している。三つ目のグループは大学の研究室である。20校くらいが出展していた。個人的にはこの大学の展示が一番おもしろかった。理由は、ほかのグループの出展にくらべて夢を感じる作品が多かったあらである。たとえばマッスルスーツ。これは筋力を補完する。老人のお話相手のロボット。痴呆症の進行を抑える。2時間ほど見てまわったが少しも飽きることが無く、午後の予定が無ければあと2時間は見ていただろう。翌日、この展示会を教えてくれた友人にお礼のメールを送ったら彼も同じ日に見に行ったらしい。彼は先日のモーターショーも見に行ったらしくモーターショーよりもスペースは広く、出展物も多く、来場者数ははるかに多かった、という。時代の方向が見える。

英語アラビア語の翻訳ソフト

2009年11月26日

世界でもっとも優れた、英語アラビア語の、翻訳ソフトがイラク戦争との絡みで開発され、それが一般にも使えるようになったのでそのソフトのライセンスを入手。日本でビジネスにならないか?日本には英語アラビア語の翻訳の需要はないに等しい。世界で最も優れた最新の翻訳ソフトだ。翻訳のニーズのあるのはどこの分野か。日本ではやはり日本語英語だろう。これからを考えたら日本語中国語も潜在的な需要は大きいだろう。
それでは、英語アラビア語の翻訳の最新技術を使って日本語英語版をまず、作ろう。
なぜ、英語アラビア語の翻訳ソフトが生まれたのか?その背景には明確なニーズがあった。
それはイラク戦争に送り出すアメリカ兵はほとんどすべての人はアラビア語を読めないし、話せない。アメリカ軍がイラクに駐在し統治するにはイラク人との接触が必須。なんらか、コミュニケーションのできるてだてが必要。そこで、即時翻訳のできる英語アラビア語のソフトをつくることにより問題の解決を図ろうとした。ポイントは解決すべき課題が明確に存在したこと。そして、技術はその問題を解決するために開発されたこと。それをほかに応用してビジネスとしようと考えるとき、その技術によって解決すべき問題があるか?解決できたとき対価がえられるものか?(対価が得られなければビジネスにならない)その技術は特定目的にのみ適合する技術科、あるいは一般性を持った技術か?際立った技術は特定化されていることが多い。応用範囲が限定されている。市場が限定されている。その市場のニーズにぴったりはまるかどうか?英語アラビア語の翻訳ソフトの場合、英語アラビア語というところに意味があった。最新の技術の、翻訳ソフト、という一般系ではなかった。もし日本語英語版を作ったとしたら、字綱日本語英語の翻訳に関しては既に多くのすぐれた翻訳ソフトがあり英語アラビア語の技術を応用して日本語英語にしたとたんそのユニークネスは無くなり、差別化も無くなってしまった。反省 そもそも本来の機能である英語アラビア語の翻訳需要は日本にはない。英語アラビア語の翻訳に関しては最新技術で最高性能であっても、日本語英語にかんしてそうである、という意味ではない。
技術からスタートしてビジネスを探すときにえてして犯し勝ちな間違い。

瀕死の状態でのビジョントーク

2009年11月26日

最近、同じような状況に2件でくわした。
両方とも、事業的に瀕死の状態にある企業である。
そこの経営者から会議に参加して欲しいとの依頼を受けて顔を出した。
そこでまず経営者から会議に関する問題提起があった。
なんと会社のビジョンについて、どうあるべきか、ということの
話が始まった。そして、そのビジョンを実現するには、、、という
のが議論のテーマである。長期的な展望と方向性を明確にすること
が目前の瀕死の状況を解決する、とでも思っているようである。
この先半年でも事業が継続できるかどうかという状況にあるのが
一社であり、もう一社は売り上げに対しての損失が20%を
上回るような状況で債務超過目前の企業である。
このような経営者に限って事業が好調なときは目先の更なる利益を
追求し、多額のボーナスと配当を狙った行動に終始し、このような
時にこそビジョンを議論すべきナことはすっかり忘れている。
つまり、その現状においてはうまく行っているがゆえにビジョンも
くそもない、というわけである。
瀕死の状態において経営者がビジョンに関心が向くのはこの二社に
限ったことではない。これは経営者の現実からの逃避の現れである。
瀕死の状態においてはその状態から一刻もはやく抜け出すための
議論と行動が必要なのであって、ビジョンは時と場合による。
経営にはビジョンが必要である、という書物はたくさんある。
夢をかたるのは耳障りがよいし、口当たりもよい。
しかし、企業が瀕死に陥った場合に関して語ってくれるものは
少ない。今のような時期に、経営者にとって必要な考えと行動は
瀕死の状況からいかに早く脱却するかであり、ビジョンは瀕死の
状態から抜け出た後で十分である。
企業にとって、経営者にとってビジョンは確かに重要である。
しかし、ビジョン以前の状況においてビジョンの議論をするのは
ナンセンスであり、これほど現実の問題から目をそらさせてしまう
危険な行動はない。

技術とビジネス化

2009年11月26日

開発された技術には大きく分けて二つの背景があるのではないだろうか。ひとつはその技術を開発することそのことが目的となって開発された技術である。
もうひとつは、何らかの解決すべきことがあり、その解決のために開発された技術である。どちらの技術がよい、悪いの議論ではない。技術をビジネス化する場合において、問題解決のために開発された技術はその開発の前段階において既に問題というニーズが存在しているのでその問題の存在しているところへの解決策として提供し、それによって対価が得られるなら、これでビジネスになる。
その技術を開発することそのものが目的になって開発された技術には顕在化したニーズが存在しているわけではない。したがって、まずニーズの有無を調べなければならない。いわゆる市場調査が必要である。
もし、ニーズがあったとして、それが潜在的なものであればこれを顕在化させる必要がある。マーケティングである。この段階を経て、ようやくその技術はビジネス化できるかどうかの判断が出来るレベルになる。

市場から見た技術

2009年11月26日

市場から見る、つまりマーケットニーズを満たす技術があるかどうか、という視点である。
ニーズに対してそれを満たす技術がなければ新たに開発をすることもある。このようにして開発された技術は開発の時点で既に市場調査は終わっていて、マーケティングはニーズにこたえる解決策というメッセージによって進めルことができ、営業上のターゲットもそのニーズをもっているところ、という事から比較的容易に定めることが出来る。
ただ、市場のニーズを満たすときに、その解決策を最新の技術を用いて行うかどうかは別の判断、つまりどの解決策がより経済的に有利化という判断が入ってくる。
往々にして最新の技術を使うよりも既存の技術のニーズにあった組み合わせでの解決策が経済的には有利であることが多い。
どんな技術をどのタイミングでビジネスに活用するかは市場における競争力とそのビジネスの収益性とのバランスのとれた判断が必要になる。新しい技術には競争力がある。ほかとの差別化の力である。既存技術の組み合わせには価格と供給の面での力がある。新しい技術を採用するとき、もしそれがコスト高からsのの技術を使った製品の価格高になる場合には、その技術の差別化された価値が価格の差を上回る価値、魅力があるならば新しい技術は有利である。ただ、与えられた目前の課題を経済的に解決するには既存技術の組み合わせガ有利なことが多い。
事例、
DSとPSP

銀座日記

2009年11月24日

最近、池波正太郎にはまっている。今年の6月、コロムビアの社長を退任するとき、友人が池波正太郎の剣術商売を読むことを薦めてくれたときからである。それまで、池波正太郎の作品とは無関係であった。剣術商売はエンタテインメントとして読んでみた。
ちょうど、本業を引退した60才前からそれ以降の剣術家についての話だから年齢的にはちょうど一致するのでおもしろく読んでいたが、そこに出てくるいろんなトピックス、風習とか、食べ物とかのバラエティの広いことに関心が向き、池波正太郎という作家そのものに興味が移りはじめた。
時代小説以外の作品を探していたら、銀座日記というエッセイにぶつかった。たぶんこれは池波正太郎の生活日記であろう、とおもい購入し読み始めた。今、ちょうど半分を少しすぎたところである。
読んでいた判った事は、作家というのはきわめてストイックであることであり池波正太郎という作家は締め切りに追いかけられる作家というよりは締め切りを追いかけていた作家といえるほど制作のスケジュールに関してはストイックであった。そのストイックな姿勢から生まれるストレスをどこかに逃がしていたはずである。最初、銀座日記を読んでいたときにはそれに気がつかなかったが自分が作家の真似事でもしてみたい、とおもった今年の夏ごろからは池波正太郎の裏側にあるストレスに気がつき、それの解消法にも急に興味が沸いてきた。
今日は勤労感謝の日で休日。いつものように朝食の後ゆっくり風呂につかりながらこの銀座日記を読んでいてはっときがついた。
この日記を書いているときの池波正太郎はもう60歳を過ぎているはずである。しかし、食欲は減ったといいながら、その食べているものはとんかつ、てんぷらうなぎ、、、、いずれもカロリーの高い食べ物ばかり、一日の食事の様子をみてもどうも寝る前に何かを食べていたりしているし、不眠症らしく寝る前にはある種の睡眠薬を服用している様子も見える。そんな食環境にありながら、毎日コンスタントに原稿用紙3枚から4枚を書いている。実際、自分で試してみると、原稿用紙3枚、つまり1200文字をまともに書くのはとても大変なことである。
そこで、気がついたのはこのコンスタントでストイックな制作姿勢で蓄積されるストレスの発散があのカロリーオーバーとも思える食に対するこだわりと銀座のショッピングであると気がついた。
経営においては集中と選択、といわれる。この集中と選択という考え方には必ずしも賛成ではない。集中と拡散ではないか、拡散から次の時代のなにかガ見つかるのではないか、将来への投資は拡散ではないか、というのが私の考え方である。
集中するとそれに伴いストレスも集中する。それを拡散することによってまた集中する力がわいてくる。
池波正太郎の場合、著作に集中しながら、それをうまく、山の上ホテルでの時間のすごし方、銀座から神田あたりでの食事、銀座でのショッピングという神経のテンションの拡散行動との組み合わせで我々を楽しませてくれる作品がうまれたのだ、と実感。
今年、2009年の勤労感謝の日の収穫である。

西新宿 小滝橋通り界隈

2009年11月21日

最近、西新宿の小滝橋通りに出かける機会が出てきた。友人の会社が小滝橋通りにあるからである。新宿駅から7,8分あるく。青梅街道を大ガードのところで西新宿方向に渡り、小滝橋通りをあるく。昨日も歩いていたのだが、歩きながらどこかの雰囲気に似てるな、とおもってコーヒーショップとかハンバーガー屋とか中古のレコードショップの看板とか見ながら歩いていた。途中、信号を渡るときにはっと気がついた。
この交差点は変則的な四つ角になっている。西側から二本の道路が小滝橋通りに入るようになっていてその二本の道は小滝橋通りの西側を三分割してる。つまり斜め60度の角度で小滝橋通りに入っている。そんな信号が友人の会社に行き着くまでに2箇所ある。
道が斜めに交差していたり、コーヒーショップがカフェタイプでありながらさほど気取らず街にとけこんでいたり、レコードショップがあったり、それもインディを扱っていたり、輸入ブランドの中古品ショップがあったり、、、渋谷とも下北沢とも違ってオフィスと店舗が混在しているかんじが実はロンドンのチェルシーあたりの感じと似ている。
新宿にはいろんな顔があるが、西新宿はビジネスカジュアルのようなにおいのする場所で、私にとっての新発見であり。

太陽と北風ー1位に勝つには2,3位連合あるいは異種連合

2009年11月13日

久しぶりに太陽と北風がばったりであった。秋も深まってまもなく冬である。歩く人は時々吹く冷たい風を気にしてコートのボタンをしっかり留めて身を守るようにあるいている。
ちょうど、何年か前に太陽と北風が勝負したときもこの時期だったことを彼らも思い出していた。あの時の勝負はきっちりコートを着こんでいた旅人のコートを脱がすことであった。結果は北風が吹けば吹くほど旅人はコートをしっかり押さえ込み結果は風では脱がすことは出来ず、太陽が暖かい光を浴びせたことで暑くなった旅人はコートを脱いでしまったのだった。
それ以来、人に対しては強引な力よりも暖かいっ気持ちのほうが効果がある、ということが一般に言われるようになった。北風にとってはなんとも忌々しい結果におわったのだった。
ちょうどそんなことを思い出しているところを、二人の目の下をコートを着た旅人が歩いているのを見つけた。
北風は太陽に、‘ちょうどいい、この前のときのように同じような旅人がコートを着て歩いている。もう一度、二人で旅人のコートを脱がす勝負をしよう。‘と持ちかけた。太陽は‘もうこの前で勝負はついているんだよ‘というところを北風は‘もう一度やって見なければ判らない。今度は君から先に始めていいよ。‘といって渋る太陽に勝負を挑み、太陽はようやく‘それでは、あと一度だけだよ‘といってコートを着た旅人を照らしはじめた。
しばらくすると旅人は足を止めて空を仰ぎ、太陽の照りつける光をみながら額にうっすら浮かび始めた汗をぬぐっていたが、それを見ている北風はさほどあわてた風の無く、あさってのほうを眺めている。このままだと、北風の出番を待つまでも無く勝負はついてしまいそうなようすである。
(つづく)

ウサギとカメールールを決めたほうが勝つ

2009年11月12日

ウサギは、カメを馬鹿にして山登りのレースをした結果、油断し寝過ごして負けたことをいまでも悔やんでいた。
あの勝負以来、ウサギには怠け者のレッテルが貼られカメは歩みがいかにのろくとも着実に仕事を進めるものは必ず勝つ、という世の多くの人を力づける教訓となったからである。
そこで、ウサギはもう一度カメと競争して汚名挽回を図ろう、と考えてカメのところに出かけていった。
‘カメさん、この前の勝負、どう考えても本当にどちらが早いのかを決める勝負ではなかったよ。あれで私が怠け者だ、といわれるのは心外だよ。だから、もう一度、勝負をしよう‘
‘ダメだよ、勝負は勝負。もうけりがついたのだから。‘‘ボクシングにだってリターンマッチがあるじゃないか。それを受けないのは卑怯だよ。カメさんは逃げた、とみんなに言っていいね。‘カメは面倒なことになった、という顔をしながら一瞬考えていました。
そこでおもむろに、‘ウサギさん、そこまで言うなら仕方が無い。もう一度あの山へ行って
勝負をしよう。しかし、前回とまったく同じではもう既に勝負がついているのだから、今回は山の上から山の下まで前回と逆のコースで競争しよう。前回は私が勝ったけど、今度はコースが逆だからウサギさんにもチャンスがあるかも、ね。‘勝負の日になりました。
山には評判を聞きつけた観客であふれ、山頂のスタートラインにはすでにウサギとカメがならんでいました。今回はこの山の主であるクマさんがスターターをつとめます。ヨーイ!という掛け声とドンという銃声でウサギは今度こそは、と勢いよく飛び出しました。ところが、一歩
踏み出したとたん、ひっくり返ってしまい、また立ち上がって足を踏み出したとたん、またひっくりかえってしまいました。
一方のカメは今回は歩く様子もみせず、このウサギの様子を確かめると山の下にむかってジャンプしました。ジャンプする瞬間に手足も首も引っ込めたカメは斜面を勢いよく山の下にむけて転がり落ちていきました。
結局、ひっくり返るのを繰り返しながらウサギが山の下にたどりついたのはカメが到着してからかなりあとのことでした。
ウサギは前足が短く後ろ足が長いので坂を上るときは便利な体型なのですが坂を下るにはまったく不向きだったのです。
教訓:ルールを決めたほうが勝つ
 そういえば、最近のスポーツの国際試合では毎年のごとくルールが変わります。それぞれのスポーツの協会で決めるのでしょうが、その協会には力のある日本人の委員は少ないそうです。そんなわけで日本が強かった種目はいつの間にかルールが変わりいまや勝てなくなった
スポーツ、、思い当たります。
これはスポーツの世界だけではありません。ビジネスの世界でもルールを決めたほうが有利な立場に立つことができます。
ルールを制するもの、ビジネスを制す、です。

アイデアの作り方と創造性

2009年11月11日

かねてから、アイデアの作り方について、ジェームス ヤングのアイデアの作り方‘(阪急コミュニケーションズ出版)を紹介してアイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない‘という一文を紹介しているが、今回、たまたまアップルのスティーブジョブス
が創造性について同じ事を言っているので紹介する。
‘創造性は物事を関連つけて考えることにほかならない。クリエイティブな人々に、どうやってそんなことが出来たのか?とたずねるときに彼らがちょっと後ろめたい気分になるのは、実は彼らはなにもしていなくて、ただ何かをみていただけなんだ。後からそれがはっきり判ってくる。なぜなら、今までに経験してきたことをつなぎ合わせ、新しいものを作り上げていることが判るからだ。
そして、彼らにそれが出来た理由は、他の人と比べて彼らが様々な経験を重ねていたり、あるいは経験したことを深く掘り下げてかんがえていたからなんだ‘
これまでに得た経験、知識をいかにオーガナイズして新しいアイデアにむすびつけるか、という方法についてはジェームスヤングの‘アイデアの作り方‘に記述されている。