西新宿 小滝橋通り界隈

2009年11月21日

最近、西新宿の小滝橋通りに出かける機会が出てきた。友人の会社が小滝橋通りにあるからである。新宿駅から7,8分あるく。青梅街道を大ガードのところで西新宿方向に渡り、小滝橋通りをあるく。昨日も歩いていたのだが、歩きながらどこかの雰囲気に似てるな、とおもってコーヒーショップとかハンバーガー屋とか中古のレコードショップの看板とか見ながら歩いていた。途中、信号を渡るときにはっと気がついた。
この交差点は変則的な四つ角になっている。西側から二本の道路が小滝橋通りに入るようになっていてその二本の道は小滝橋通りの西側を三分割してる。つまり斜め60度の角度で小滝橋通りに入っている。そんな信号が友人の会社に行き着くまでに2箇所ある。
道が斜めに交差していたり、コーヒーショップがカフェタイプでありながらさほど気取らず街にとけこんでいたり、レコードショップがあったり、それもインディを扱っていたり、輸入ブランドの中古品ショップがあったり、、、渋谷とも下北沢とも違ってオフィスと店舗が混在しているかんじが実はロンドンのチェルシーあたりの感じと似ている。
新宿にはいろんな顔があるが、西新宿はビジネスカジュアルのようなにおいのする場所で、私にとっての新発見であり。

太陽と北風ー1位に勝つには2,3位連合あるいは異種連合

2009年11月13日

久しぶりに太陽と北風がばったりであった。秋も深まってまもなく冬である。歩く人は時々吹く冷たい風を気にしてコートのボタンをしっかり留めて身を守るようにあるいている。
ちょうど、何年か前に太陽と北風が勝負したときもこの時期だったことを彼らも思い出していた。あの時の勝負はきっちりコートを着こんでいた旅人のコートを脱がすことであった。結果は北風が吹けば吹くほど旅人はコートをしっかり押さえ込み結果は風では脱がすことは出来ず、太陽が暖かい光を浴びせたことで暑くなった旅人はコートを脱いでしまったのだった。
それ以来、人に対しては強引な力よりも暖かいっ気持ちのほうが効果がある、ということが一般に言われるようになった。北風にとってはなんとも忌々しい結果におわったのだった。
ちょうどそんなことを思い出しているところを、二人の目の下をコートを着た旅人が歩いているのを見つけた。
北風は太陽に、‘ちょうどいい、この前のときのように同じような旅人がコートを着て歩いている。もう一度、二人で旅人のコートを脱がす勝負をしよう。‘と持ちかけた。太陽は‘もうこの前で勝負はついているんだよ‘というところを北風は‘もう一度やって見なければ判らない。今度は君から先に始めていいよ。‘といって渋る太陽に勝負を挑み、太陽はようやく‘それでは、あと一度だけだよ‘といってコートを着た旅人を照らしはじめた。
しばらくすると旅人は足を止めて空を仰ぎ、太陽の照りつける光をみながら額にうっすら浮かび始めた汗をぬぐっていたが、それを見ている北風はさほどあわてた風の無く、あさってのほうを眺めている。このままだと、北風の出番を待つまでも無く勝負はついてしまいそうなようすである。
(つづく)

ウサギとカメールールを決めたほうが勝つ

2009年11月12日

ウサギは、カメを馬鹿にして山登りのレースをした結果、油断し寝過ごして負けたことをいまでも悔やんでいた。
あの勝負以来、ウサギには怠け者のレッテルが貼られカメは歩みがいかにのろくとも着実に仕事を進めるものは必ず勝つ、という世の多くの人を力づける教訓となったからである。
そこで、ウサギはもう一度カメと競争して汚名挽回を図ろう、と考えてカメのところに出かけていった。
‘カメさん、この前の勝負、どう考えても本当にどちらが早いのかを決める勝負ではなかったよ。あれで私が怠け者だ、といわれるのは心外だよ。だから、もう一度、勝負をしよう‘
‘ダメだよ、勝負は勝負。もうけりがついたのだから。‘‘ボクシングにだってリターンマッチがあるじゃないか。それを受けないのは卑怯だよ。カメさんは逃げた、とみんなに言っていいね。‘カメは面倒なことになった、という顔をしながら一瞬考えていました。
そこでおもむろに、‘ウサギさん、そこまで言うなら仕方が無い。もう一度あの山へ行って
勝負をしよう。しかし、前回とまったく同じではもう既に勝負がついているのだから、今回は山の上から山の下まで前回と逆のコースで競争しよう。前回は私が勝ったけど、今度はコースが逆だからウサギさんにもチャンスがあるかも、ね。‘勝負の日になりました。
山には評判を聞きつけた観客であふれ、山頂のスタートラインにはすでにウサギとカメがならんでいました。今回はこの山の主であるクマさんがスターターをつとめます。ヨーイ!という掛け声とドンという銃声でウサギは今度こそは、と勢いよく飛び出しました。ところが、一歩
踏み出したとたん、ひっくり返ってしまい、また立ち上がって足を踏み出したとたん、またひっくりかえってしまいました。
一方のカメは今回は歩く様子もみせず、このウサギの様子を確かめると山の下にむかってジャンプしました。ジャンプする瞬間に手足も首も引っ込めたカメは斜面を勢いよく山の下にむけて転がり落ちていきました。
結局、ひっくり返るのを繰り返しながらウサギが山の下にたどりついたのはカメが到着してからかなりあとのことでした。
ウサギは前足が短く後ろ足が長いので坂を上るときは便利な体型なのですが坂を下るにはまったく不向きだったのです。
教訓:ルールを決めたほうが勝つ
 そういえば、最近のスポーツの国際試合では毎年のごとくルールが変わります。それぞれのスポーツの協会で決めるのでしょうが、その協会には力のある日本人の委員は少ないそうです。そんなわけで日本が強かった種目はいつの間にかルールが変わりいまや勝てなくなった
スポーツ、、思い当たります。
これはスポーツの世界だけではありません。ビジネスの世界でもルールを決めたほうが有利な立場に立つことができます。
ルールを制するもの、ビジネスを制す、です。

アイデアの作り方と創造性

2009年11月11日

かねてから、アイデアの作り方について、ジェームス ヤングのアイデアの作り方‘(阪急コミュニケーションズ出版)を紹介してアイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない‘という一文を紹介しているが、今回、たまたまアップルのスティーブジョブス
が創造性について同じ事を言っているので紹介する。
‘創造性は物事を関連つけて考えることにほかならない。クリエイティブな人々に、どうやってそんなことが出来たのか?とたずねるときに彼らがちょっと後ろめたい気分になるのは、実は彼らはなにもしていなくて、ただ何かをみていただけなんだ。後からそれがはっきり判ってくる。なぜなら、今までに経験してきたことをつなぎ合わせ、新しいものを作り上げていることが判るからだ。
そして、彼らにそれが出来た理由は、他の人と比べて彼らが様々な経験を重ねていたり、あるいは経験したことを深く掘り下げてかんがえていたからなんだ‘
これまでに得た経験、知識をいかにオーガナイズして新しいアイデアにむすびつけるか、という方法についてはジェームスヤングの‘アイデアの作り方‘に記述されている。

シェイクスピアの書いた婚活指南本

2009年11月 6日

最近、なんとなく古典を読んでいる。
古典ばかり読んでいるのではなく、自分の読む本の視野に古典が入ってきたのである。
年のせいかもしれないがそのいきさつはどこかで改めて書くことにする。

最近、読んでいるのはシェイクスピア。
それも英語で、オリジナルな戯曲を読むのではなく、チャールスラムがオリジナルな戯曲を物語風に書き直したシェイクスピア物語である。
そのなかで今の世の中にも通じる作品がいろいろあることに気がついたのでその一つを紹介する。
`終りよければすべて良し‘というタイトルの物語である。

物語は、伯爵夫人(未亡人)と息子の伯爵が一緒に暮らしていた。
息子は王様に呼ばれて都に勤務すべく転勤になった。
伯爵夫人には医者の娘の侍女がいた。
侍女は伯爵にほれていて、伯爵夫人はそれをしっていた。
侍女は伯爵を追いかけ都に出て行った。

さて、そこからがこの侍女がどんな風に周りの協力を集めて狙っていた伯爵の夫人の椅子を手に入れるか、、、、、
いろんな作戦を立て、それを実行した結果、まんまと伯爵を手に入れるのである。

この作戦と行動はまさに婚活のお手本ではないか?
やはり、シェイクスピアの時代でも狙った男を射止めるには周到な作戦と思い切った行動が必要であることを教えてくれる。

また、ここで書かれている作戦も行動もまさに今のわれわれの世界に通用する。
興味の御ありの方はぜひ、シェイクスピア物語を読まれるとよい。
岩波文庫で760円である。

ビールの値段

2009年11月 6日

モノ皆値下がりする昨今なのだが、昨晩みた生ビールの値段には驚いた。
家に帰る途中に通りがかりに見た飲み屋の看板には、生ビール350円というところに線を引いて消して、大きく190円!と書かれている。
場所によっては350円でも十分安いと思うのに、なんと190円である。
店の良心として350円で売っていたときのグラスを小さくして190円にする、と言うことはありえないだろう。
そんなことをしたらすぐ客は店をさげすみ、離れていく。
この手の店は、バイト店員で運営されていたとして時給1000円であろう。
一杯350円のときのマージンが250円あったとすると一時間に一人の店員が4杯売れば時給に相当する売り上げが得られる。

ところが190円になるとマージンは90円に下がる。
このとき店員は一時間に11杯売らなければ時給分の売り上げがあがらない。
つまり時間あたりの客が350円のときの3倍近い数の客が来てくれないと190円のときには粗リが確保できない。

そもそもそれだけの人数の客があるのだろうか?このような例は飲み屋に限らない。
なにかビジネスのバランスが狂ってきている。

トリッパのトマト煮

2009年11月 5日

イタリア料理にトリッパのトマト煮というのがある。トリッパは牛の腸、すなわち英語のトリップ、日本では焼肉でおなじみのミノである。
トマト煮といってもトマトで煮たあとトリッパをトマトソースとともにグラタン皿にいれて、パン粉とパルメザンチーズを載せてグラタン風に焼き上げる。グラタン風ではなく、まさにグラタンである。
マカロニグラタンのマカロニの代わりにトリッパが入っていてホワイトソースの代わりにトマトソースを使っていると考えればよい。

昨晩は久しぶりにおいしいトリッパに出会った。トリッパがおいしいためにはいくつかのポイントがある。まず、原料の牛の腸がよく掃除され晒されてあく抜きがされていることである。

ただし、晒しすぎるとトリッパ独特の歯ごたえがなくなり、さらに内臓のあくのある味が抜けてしまう。この晒し加減が微妙である。私は味にえぐさが残っているものが好きである。

次にトマトソースである。トリッパを十分晒してやわらかくし、あくを抜いたモノの場合は薄めの味のトマトソースでよい。

しかし、えぐさを残したとリッパの場合はその味に対抗できる濃い味のトマトソースが必要である。この組み合わせを間違えるととんでもない味のトリッパになってしまう。

昨晩のトリッパはトリッパにえぐさが残っていてそれを濃いトマトソースとたっぷりのチーズでグラタンに焼き上げらていたので、濃厚な味の満足のいく味だった。

実はトリッパにはまったのは1971年のことである。そのころ、計量経済予測に関係した仕事をしていた。その関係で当時計量経済の分野で進んでいたイタリアのピサ大学とIBMの共同研究所に出張する機会があった。

ピサは田舎町であるから英語はほとんど通じない。レストランに行くとメニューはイタリア語だからわからない。そこで安全策として、一番値段の高いモノをえらんだらトリッパだった。
実はこれが一回だけでなく、滞在中に3度も選んでしまった。もちろん別のレストランである。そうすると最初は嫌な味、とおもっていたものが3回目にはおいしいと感じるようになり、それ以来この料理にはまっている。イタリア語がわからなかったメリットである。

畑名人

2009年11月 4日

最近、よく夢をみる。昨晩も夢を見た。
信州の高原の畑のあぜ道にいる自分である。
あぜ道にキャンバスのディレクターチェアを置き座っている自分を
斜め後ろから眺めている、夢の中の自分である。

ひざの上にはリモコンカーのプロポのようなものを置き、操作している。目の前には半反歩ほどの畑、つまり165坪くらいの畑があり、それは三つに区切られていてる。
そのひとつの区画のところを月面車のようないくつもの車輪をつけたムカデのような車が動いている。その様子は、どうも畑の除草をしているようである。

実は、この月面車は、商品名を畑名人という畑のほとんどの農作業をこなす専門のロボットて、最近8万9千400円で買ったばかりの品である。、、、、

こんな夢を見たのにはわけがある。そもそもミーハーな性格ナモノだから、昨今の農業ブームをみて自分も近い将来は信州の高原に住まいを移し、ちょっとした家庭菜園を造り、そこで大豆などの豆類と野菜は自作してちょっとした自給生活をしようか、などど考えていたのが背景にある。

そのとき、具体的に考えると農作業など一度もやったことが無い自分が食べるに足りるだけのものを作ることが出来るか、という疑問が起きる。たぶん、定年退職して高齢化するにつれ農作業は慣れていればともかく体にきつく案外早々に自給などあきらめてスーパーに通う生活に
なってしまいかねない。そこで考えたのが、このようなちょっとした自給のための農作業をやってくれるロボットである。
そんなロボットの機能仕様をこのところいろいろ考えていたから、とうとう夢にまで登場した、という次第である。

国の食料自給率を上げるにはまず自分自身の自給率を上げることがつみかさねられれば全体の自給率が上がる、、、、というのはどうだろう。

電池

2009年11月 2日

1970年代の初めに、車用のエアコンがロータリーコンプレッサーになり小排気量の車でもエアコンが積めるようになり一気に普及した。
それが技術的なきっかけになったのか、同時並行的に家庭用のエアコンも普及期を迎えた。
このように、あるところでひとつの技術が実用化されると、その技術がほかの分野にも広がり、そのほかの分野でも新しい商品が開発され普及する、技術にはそのような伝播力がある。
したがって、ある分野での新しい技術が製品に導入されていく状況を見ているとその技術が次にどんなところでどんな展開になるのか予測することができる。
近いところにあるのは電気自動車である。電気自動車はバッテリーで駆動される。
バッテリーは長期的には燃料電池になるのであろうが、当面はリチウムイオン電池である。
そのリチウムイオン電池が電気自動車のために開発が進みどんどん高性能化していく。その一方で、エコの観点からの太陽光発電、あるいは風力発電など小口あるいは家庭レベルでの発電が広がりつつある。

ただし、今の難点は発電されたものを貯えておく設備である。これがリチウムイオン電池の開発と普及が進み安価になると電気の蓄積設備として使われるようになる。
そうなると、太陽光発電などの家庭での発電が急速に普及すると予測される。

権力闘争

2009年11月 2日

昨晩(11月1日)のNHKスペシャルのテーマは小沢一郎と権力闘争であった。
出だしを何の気なしに見ていたら引きずり込まれて、結局最後まで見てしまった。

ところでお恥ずかしいことだが、この番組を見て、この年になって、はじめて政治は権力闘争そのものであると知った。

これまで、政治家とは政治をする人だと思い、その人たちを見て政治とは一体何なんだろうとおもっていた。

しかし、昨晩のテレビは政治の本質はいざ知らず、実態は権力闘争そのものであることをものの見事に描いて見せてくれていた。
自民党にとっては政権与党であり続けることが何よりもまして優先テーマであり、また、党内においては総理大臣になることがその目的であってそれがあったうえでのまつりごとであるのである。
それを1990年代の前半に一度自民党が政権与党から離れたときからの与党に戻るまでの闘争を権力闘争の実態として描き出している。

また、いったん政権与党になったらその中では自民党総裁選のたびに党内出の権力闘争が繰り返されているわけであり、政治はそのあいまになされているわけである。
そう見ると昨今のように短期間に総理大臣が何人も代わる時代にはそのたびに党内の権力闘争が起こり、それにほとんどのエネルギーを消耗しているのが実態であったならとても政治がなにもできなかったのも十分うなづけるわけである。