教えることから学ぶ

2010年5月24日

毎週、1講座だが、大学で教えている。
理工系の専門課程で20人足らずのクラスである。講座のテーマは昨年とおなじ。
テーマは同じでありながら話している内容はずいぶん変わってきた。
講座のテーマはコンテンツとメディア、それにかかわるビジネスについて。
マクルーハンは彼のメディア理論からインターネットの登場を予想していた。
そこで、この講座ではインタネットの視点からマクルーハンのメディア理論を
眺めてみること。
さらにはメディアとコンテンツの相互の依存関係を見ながらメディアが変わるとコンテンツもその影響を受けることを眺めている。
マクルーハンの理論を見ながらまだ実現されていないインターネットのもつ可能性について探ってみることも試みている。
こんなことを話そうと、基本になるテキストはマクルーハンの著作を使っている。
マクルーハンのネタ本は去年とおなじである。
同じネタ本をつかっているのだが、今年もその本を読んでいて去年は気がつかなかったことに気がつく。同じ本を同じ目的で読んでいるのに、である。
したがって講座で話そうと思うことも変わってきている。
もし、講座を持って講義をしていなかったらこんな本の読み方はしなかっただろう。
ネタ本を読んで、考えて、だけで終わるはずの読書が講義をしようと思うと考えたことを表現しようとする。
表現しようとすることでさらに考えが深まったり広がったりする。
講義の終わりに毎回クイズを何問か出す。
最後の15分くらいの時間をつかう。
できるだけ明確の答えのでないクイズを考える。
理由はいろんな答えとか反応が見たいからである。
多分、大学に入ってくるまでは単一の正解がある問題ばかり、その唯一の正解を答えさせられてきたはずである。
世の中、正解がひとつだけあることのほうが例外的である。
クイズの答えを見ることが楽しみである。みんな15分間、かなり真剣に答えを書いている。
正解が無いのだから自分の考えを書くのである。
この答えを読むのがたのしみである。自分が考えもしない答えもあるし、にやり、とほくそえむ答えもある。いろんなことを教えられる。
みんなの答えは次回の講義のときにみんなにフィードバックする。
これは、最初のクイズのときに学生からの要望だったし、実は自分もフィードバックするつもりだったから。
教える、というチャンスからいろいろ学んでいる。だから毎週、講義の日が楽しみである。

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